人気ブログランキング |

ブログトップ

白髪の旅ガラス

2007年 11月 25日 ( 1 )

 稲刈りを終えた田で燃やされる藁の煙は、その日の空気より重かったのであろうか、天に昇るのを諦めて、手の届きそうな上空を横一直線の雲となって拡がり、近くを走る高速道路の渋滞した車の空気取り入れ口にも遠慮なく舞い込み、テールランプの点滅に飽きた運転手の鼻の穴を、懐かしい香りで満たした。

 樹木一本を伐るにも村役場の許可が必要になり、庭の枯れ木や紙くずを燃すにも自由にはならない、自然や周辺の環境に気を配る時代になっても、燃やすことが認められているのは、春先の枯れ草を燃やす野焼きなど、ほんの僅かな場合だから、木や草を燃やした煙の臭いを知らない人が増えていくのは、仕方の無いことだが困ったことである。

 機会があれば、ストーブで薪を燃やしてみると良い。初めは嫌々煙を上げていた薪が、やがて勢いを増してゴウゴウと音を立てて燃え盛る様は、いつまで経っても見飽きる事は無いであろう。間も無く、天蓋に置かれたヤカンの水は沸騰し、ガスや電気とは異なる強力なエネルギーの所為か、ヤカンそのものも揺り動かしながら、自由奔放な蒸気を吐き出し続ける。

 こうして薪を燃やせば、身体中に強烈な焔の臭いが滲み込み、また、盆の迎えや送りで藁を燃やせば、香ばしい臭いが身体を包む。かように、自然が育んだ草や木を燃やし、その煙と供に暮らしてきた者が、その臭いに惹かれるのは、懐かしさも手伝い当然のことであろう。けれど、草や木をエネルギーにすることが叫ばれる時代にあり、藁や薪を燃やした臭いは、そうでない者にも身近になるのかも知れない。
d0052263_2219169.jpg


                幼子の 生木に咽る 囲炉裏端
by tabigarasu-iso | 2007-11-25 22:21 | 随筆 | Comments(0)