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白髪の旅ガラス

山の幸

 間も無く、透けて見えていた山肌が、落葉樹の新芽に覆われ見えなくなる。その頃になると田舎では、田植えや夏野菜の植え付け準備に追われ、腰を伸ばす暇も無い。すぐ傍の山菜やタラの芽が声を掛けても、耳に届くことは稀である。余りに身近な存在で珍しくない所為もあろうが、山菜を探す暇があれば、晴れ間を惜しんで苗を植える方に時間を割く。

 そんな田舎へ、世界的な経済不況に飲み込まれ、それほど経済的な余裕など無い筈なのに、時間だけは持て余すサラリーマンの大群が押し寄せ、山の恵みは誰のものでもないから、自分のものにしても問題はないと称し、ウドやタラの芽を根こそぎにする。次の季節を考えたら、根こそぎの略奪は山の掟に違反するが、それを都合よく知らないから困ったものだ。

 林業や農業の不振は半世紀以上も続いているが、農道や林道だけは税金が投入されて立派な舗装が山肌を縫っている。その所為もあり、乗用車で乗り着けて、存分に自然を満喫しながら、トランクにはタラの芽ばかりか、親木も刈り取って積み込む。自宅の小さな庭に植えるつもりであろうが、自然への感謝を忘れた愚かな行為が嘆かわしい。

 天然のウドやタラの芽は、一部を別けて貰うことだ。懸命に延びて葉を広げ、大きくなろうとするところを横取りするのだから、成長に問題のない範囲の芽を頂き、酢味噌に和え、天ぷらにする。こうして、植物成長のエネルギーを含んだ山の幸、感謝しながら胃袋に落とし込むなら、山の神も微笑んでくれることだろう。

                   山の神 感謝しながら 芽を貰い
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by tabigarasu-iso | 2009-03-25 20:25 | 随筆 | Comments(0)