2007年 06月 07日
水車
そんな川にも、水力だけは奪われずに残されていましたから、川に面したあちらこちらに、水車小屋がありました。脱穀するやら粉を挽くやら、水車の回るたびにギーゴト、ギーゴト、油の切れた軸が悲鳴を上げながら、杵を跳ねては落としてまた落とし、石の臼に置かれた穀物を細かく砕いていきました。
自分で育てた麦や米を牛馬で運び、水車で粉や米に加工し、里山から薪や炭を調達していましたから、喰うために化石燃料を使用することは一切ありません。それにまた、電球やラジオを流れる電気も、村にある水力発電所から供給されていましたから、全てが自然を利用する村の時代でした。
生活様式が大きく変化した今、水車を利用していた当時に戻ることは出来ません。けれど、水車を復活させてエネルギーを得ることは、死んだ川を元に戻すことに比べれば容易な筈です。ただ、水車を復活させても、水が涸れては仕方ありません。そこで、上流の森林育成を同時に進めることが必要になりますが、これを古くて新しい花形産業とする政策転換が急務でありましょう。
炎天下 尼崎には 汝有り