2019年 06月 09日
ドーパミンの過ぎたるは
度が過ぎることは、足りないのと同じくらい良くないことを、承知しながら何度経験したことでしょう。それでも、思ったより短い人生では、遣り残すことの後悔より、遣り過ぎた反省で幕を閉じたいものです。
それを助けてくれる体内の味方は、ドーパミンと言われるもの。雨が止み、静かな早朝に目が覚め、ホテル予約のキャンセルを行い、愛猫のトイレを掃除し、枇杷の木に登って実を採り、隣家の庭まで枝先を伸ばした植木の剪定から、タナゴとハゼの暮らす水槽の水を替えても未だ気が済みません。
「風呂も洗おうか」
「もう止めなさい。ドーパミンが吹き出している」
「そうかも知れん。だが、人生は思ったより短い」
「それはノーベル文学賞を受賞した方の科白でしょう」
「・・・」
相方の一言で、暴走気味の身体に漸くブレーキが効いたようです。汗をシャワーで流し、冷たい麦酒を胃袋にあげて、銚子の硬い岩盤の上で魚の冷凍保管が何故栄えているのか、ブラタモリで知り始めた頃には居眠り。すっかり、ドーパミンは引っ込んでしまったようです。
水清く なったところで ハゼの口 世話になります と言ったような