2009年 12月 28日
正しい剪定
と言うのも、毎年春に咲く五月の花を見ることができないまま二十年が過ぎた。どうやら秋口に依頼していた剪定時に花芽まで切り落とされていたようで、これでは咲く筈がないと気が付いたのである。そこで過日、長年のお付き合いにけじめをつけた。
葉の落ちた植木は、葉に隠れて見えない乱れた枝を人前に曝け出す。それが自然のものであれば無駄がなく調和も取れて美しいが、人の手で不自然に残された枝であるから実に見苦しい。或る日、散歩途中で剪定職人を見掛け、その仕事振りを確認してから声を掛けた。
陽に焼けた顔に白いチョビ髭が良く似合う背の低い小柄な剪定職人は、伸ばす枝と切り落とす枝の選定方法を教えながら、器用に剪定を進めていく。
「植木の気持になるんだぁ」
剪定職人は、梢や枝先に登場する鳥の巣状に混乱した枝振りを指差して言った。
「かわいそうに」
鋏の音が消えたところで、剪定職人の成果を確認すれば、どの植木も頭と手足が明確になり、余分な手足はなくなっている。勿論、新芽は伸ばしたい頭や手にあり、五月に鋏を入れる愚は犯さなかった。漸く、本物の剪定職人に出会えたようである。
剪定の 選定違い 木の毒に