2024年 03月 19日
風に吹き飛ばされ
確か、「牛に引かれて善光寺参り」と言う、意図としない偶然の行動の結果が良かった場合の諺を日常会話で使う機会がありました。
それは、ある農家の庭先、干して置いた布を牛が角に引っ掛け、それを追い掛ける内に念願であった善光寺参りが叶ったと言う話です。
ところで、当地では朝から吹き荒れる強風、唸る風の音に怯えて虎猫は寝床から出るような愚かな行動はしません。人も虎猫を真似れば良いのですが、銀行に出掛けなければならない用事がありました。
散歩を兼ねて出掛けたものの、前から吹き付ける風に煽られ、相方は息が出来ないと苦しそうです。その直後、風向きが変わり背中を押す風には満足気でしたが、忘れものに気付いて帰宅することになり、風に押されて銀行参りとはなりません。
風神に 薄い頭髪 煽られて
2024年 03月 18日
沈丁花の甘い香り
今年も沈丁花が咲きました
甘い香り漂わせ春告げます
寒い地方には適さない花に
初めて遭遇した時の驚きは
未だ鼻鮮明に覚えています
三十年目迎え不変の沈丁花
抑え気味の甘い香りに乾杯
沈丁花 そっと漂う 香りあり
2024年 03月 17日
メダカ孵化の頃
漸くトロ舟の水温む頃になり
水張ったバケツにトロ舟の藻
数日経ち孵化始まるだろうと
覗く水面に見付けた細長い命
桃の花芽膨らみ白い花と競い
小さな線の藻から脱出する姿
立派なメダカになりましたな
上から声掛ける散歩中の虎猫
覗いた先に見付けた魚の動き
つい本能で前脚差し込んでは
申し訳なさそうに引き込む爪
もう少し大きくなるまで待て
メダカ諦めた愛猫の下がり目
脳に焼き付いて離れない爺様
散歩終え御褒美チュルチュル
最後まで残さず絞ってあげた
水温み 越冬メダカ 跳ね上がり
2024年 03月 16日
剪定爺
蔓を伸ばし、拠り所になる支柱を探し始めた豆に呼ばれ、長靴を履いて小さな畑で作業していると、横から何者かに覗かれているようです。
そこには伸び過ぎた枝に絡まれ、困った顔したオリーブが二本あるばかり。もしやと思い訊ねると、混み過ぎた梢や枝を剪定して欲しいと頼まれました。
早速、三脚を運び込んで、鋸と剪定鋏も揃えてオリーブの枝切り開始です。太い幹は鋸で切り落とし、小さな枝は剪定鋏でサッパリ。あっと言う間の職人技、自分でも驚きました。
ところが、切り落とした枝の整理が容易ではありません。市の回収してくれる燃えるゴミ袋に入る大きさに切り揃える作業、剪定鋏を押さえる握力が消えています。若い頃に鍛えた筋肉ですが、半世紀も過ぎれば筋肉の衰えは正直なものですね。
脚立うえ 鋸操作 慣れたもの
2024年 03月 15日
拾った命
戦地に赴き、無事に帰郷することができた人の口癖に「あの時死んだと思えば何でもできる」とか、「拾った命だから大切にする」とか聞いたことがあります。
病気や怪我で命を失い掛けた人からも、似たような科白を聞きますが、拾った命を無駄にしない道は二つ。積極的に再び挑戦する道を選ぶ、無理しないで静かに生きる道を選ぶ、何れかは人によります。
身体が自由にならない場合は頭で考え、健康ならば頭と身体を使って、病気や怪我で命を失い掛けたことのない人でも、この世に生まれた命は、拾った命と考えて良いのではないでしょうか。
自分の拾った命を生かすには、紙・電子媒体による小説の公表、環境コンサルや環境審査を通じた社会貢献、命の燃え尽きるまで継続することのようです。
考える 機能の消える その前に