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白髪の旅ガラス

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天を走る白髪犬

 君は、二十一歳を半年後に迎える長老犬でした。
 今は、煙となって風と仲良く天を走っていることでしょう。
 君の火葬を終え、漸く安心した所為か少しばかりの清め酒に酔っています。
 振り返れば、君と出会ってから色々なことがありました。
 時に、君の愛くるしい表情には助けられたものです。
 君が犬らしさを失ってから恩返しを考えていましたが、それは叶わぬことでした。
 必死に生きる君の姿は、面倒をみる側に勇気を与えてくれるばかりです。
 今は天に昇り、君は何を追い掛けていることでしょう。
 きっと、雲の後に隠れた鼠に違いありません。
 やがて、僕らも天に昇ります。
 その時、尾を振り近寄る君に会いましょう。

 斎場の 木の実啄ばむ 鳥となれ
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by tabigarasu-iso | 2011-06-30 17:05 | ニュース | Comments(0)

岐路

 人により、それまでの生き方を見直す岐路というものがある。子供から大人の仲間入りをする20歳、社会人として進路を見直す40歳、定年という仕事の終りを告げる60歳、どれも他人事のようであり納得した覚えはないが、20年は人生の節目と言えそうだ。

 振り返れば、20歳の時は親の脛を齧る甘い学生生活を断念した最初の岐路である。それから紆余曲折、家族が生きる為に懸命に働いて、所属した組織が生き延びる為にと別の道を選んだ40歳の時。所詮、それは組織の為にはならなかったが、崖を駆け下りた勇気は自分のものになった。

 恐いものが無くなれば、あとは前進するのみである。親の保護が必要な子供も成人すれば、憂い無く仕事に専念もできよう。だが、肉体が衰えを見せ始め、気持とは裏腹に盛んに行動しようとする身体へ、焦らないようブレーキをゆっくり掛ける。

 未だ働ける定年の60歳を迎え、少ない年金で枯れた余生を送るのが良いか、それとも奮起して新たな花を咲かせようか。どうせ、先は長くて40年、短ければ明日もない。どちらにしても、先が見えないながら、それほど慌てない人生の岐路であろう。

梅雨明けぬ 空に上りし 友があり
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by tabigarasu-iso | 2011-06-30 08:45 | 随筆 | Comments(0)

三匹のヤモリ

 過日、台所の窓ガラスに出没するヤモリの子が生まれたことを知った。最近、それよりさらに小さなヤモリが現われたところから、親子三匹のヤモリが窓ガラスを餌場としているようである。

 何しろ、三匹が同時に現われることは一度もなく、体長の大中小で識別するしかない。親子なら仲良く餌場に現われても良さそうだが、輪番で現われるのは何故であろう。

 白い腹を見せて五本の指をガラスに貼り付け、蚊や蛾を見付けると平地を飛ぶようにかけ付ける様子を見ながら、冷たい麦酒で頭を冷やしながら考えてみた。

 種を保存する本能から、同じ餌場には複数のヤモリは現われない定めがあるに違いない。それに、一晩腹一杯喰えば三日間は喰わない食餌のパターンがあり、大中小三匹のヤモリは、輪番を守っているのではなかろうか。

一時に 親子の揃う 人の家
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by tabigarasu-iso | 2011-06-29 18:37 | 小説 | Comments(0)

別れ

「大丈夫だった」
「涼しい顔で寝ている」
 猛暑の中でも、寝たままの愛犬は、冷房の効いた部屋で扇風機に冷気を運んで貰い、それこそ涼しい顔で寝ていたようだ。

 それを知らない当人は、暑さで喉が乾き水を求めて、役に立たない四肢で宙を蹴る愛犬を想像し、それが頭の真中を占めて仕事がまるで手に付かない。

 同じ様なことは、これから何度もあるから、そろそろ覚悟を決める時であろう。
『帰ったら、息をしていなかった』
『・・・そうか』

 そんな場面を迎えても、こちらは自らの命を繋げなければいけない。とは言え、それは愛犬を忘れ去ることではなく、こちらの過去に想い出を刻み、それをバネに前進することであろう。

少し鳴き 話し掛けたい 犬もあり
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by tabigarasu-iso | 2011-06-29 12:12 | 随筆 | Comments(0)

入道雲に誘われて

 夏でもないのに積もり上がる黒い雲は、西の地平線を瞬く間に覆い尽くす。その動く様は、遠くからも明確に見える。例えるなら、足を切られたタコの怒りであろうか。

 入道雲かも知れない。急激な気温上昇により、上昇気流が水蒸気を仲間に引き入れ、天に昇る。落雷を伴うかも知れないと期待すれば、ゴロゴロと応えるところは素直なものだ。

 それにしても早過ぎると考え調べてみれば、六月の末に入道雲が発生しても不思議ではなさそうである。ただ、梅雨明け宣言も聞いていないから、感覚的には承知し難い。

 個人的な感覚では、入道雲は夏休みの象徴であった。破れた麦藁帽子を被り、大きなランニングシャツを風に泳がせ、風小僧に成り切って走り、汗だらけの身体を夕立に洗い流して貰った、そんな想い出が蘇る。

梅雨時に 入道雲は 早過ぎて
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by tabigarasu-iso | 2011-06-28 00:24 | 随筆 | Comments(0)

丸見えですよ

 熱海駅の近くは、靄で視界が悪くなっている。それでも雲の切れ間から西日が顔を見せ、靄を後方から照らして幻想的な風景を造り出す。

 窓のブラインドを下ろし、液晶の画面を見易くしたところで、視界の左隅にパソコンを操作する人を認めた。少し首を左に捻り、見てくれと待ち構える画面を見てあげる。

 丸見えである。特に年齢を重ねて遠くが見え易くなった視力の所為か、グラフで傾向が良く判り、その説明文も文字が大きく判り易い。

 それが何かは言わないが、人目に触れて困る情報なら、見せない工夫が必要であり、見たくない人へのマナーではなかろうか。

 因みに、小生の操る液晶の画面、真後ろからは見えるが、横の人からは一切見えないマナー画面である。仮に後から覗かれても、その姿が画面に映る偏光ガラスだから心配ない。

見られても 困らぬ資料 要りませぬ
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by tabigarasu-iso | 2011-06-27 06:47 | 随筆 | Comments(0)

犬山城

 木曽川のほとりの小高い山頂には、1537年に建てられた犬山城がある。それを見物する観光旅行ではないが、そこへ向かい日曜日の夕方、つまり蝙蝠が働き出す時間帯に家を出た。

 犬山城に立ち寄る予定はないが、インターネットで調べてみれば、建てたのは織田信長の叔父だそうで、戦国の世に突入する室町時代のことである。以来、何度か城主の名が変わる度、多くの命が城の内外で消えたことであろう。

 天守閣に立てば、見下ろす城下町には戦争を知らない世代が多数を占める家々の明かりが灯り、平和で美しい夜景が見渡せるに違いない。けれど、城の石垣からは、今尚、成仏できない無数の兵士の雄叫びが洩れ聞こえそうである。

 ここまで書けば、もはや犬山城を訪れた気分になった。その雄姿、今宵は到着が遅くなり拝むことは叶わないが、既に見たような満足感に浸り、冷たい麦酒で一人乾杯するコンサルの往路である。

犬山の 城は何処かと 柴に聞き
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by tabigarasu-iso | 2011-06-26 18:48 | 随筆 | Comments(0)

雨が降る

 おかしなもので、傘の話をすれば雨が降る。昨日の四十度近い大気に焼かれた植物は、枝先を天に振って誰もが喜んでいるようだ。

 人は、雨を楽しむ人とそうでない人に別れる。前者は心に余裕のある人であり素直に恵みの雨を受け入れ、後者は仕事に追われ自然を認める余裕など心にない人だ。

 適度の雨は植物を育て、それが動物の餌になる。これを有り難く思わない人も、それを口にするのだから、目先の仕事が多少忙しくても、雨が降れば天に向かい感謝しなくてはいけない。

 こうして、自然の営みを念頭に置けば、食糧の生産から消費の市場まで、連続した流れが見えるから、流れに沿った組織運営も可能になる。だが、雨に感謝する心を失くした人の集まる組織は、そうした市場の先行きが見える筈もなく、逆流に飲まれてしまうだろう。

一粒の 雨が集まり 大川に
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by tabigarasu-iso | 2011-06-26 01:30 | 随筆 | Comments(0)

 土曜の昼、ラジオ放送の傘を題にした川柳を聞き、ふと笑いがこみあげる。その川柳の詠み手の中には、九十歳を超えた人も居ると聞き、センスの若さに驚いた。記憶の残ったものを、幾つか紹介してみよう。

 ☆放蕩の 傘は何本 出したこと
 ☆傘立ての 底に落とした 秘密ごと
 ☆唐傘に 目を回された 皿落ちて
 ☆台風の 威力を示す 傘折れて
 ☆傘忘れ ずぶ濡れで 取りに行く

 梅雨も明け、傘の出番は少なくなる。その前に、自分も幾つか傘を題にした川柳を詠んでおこう。
 ★降りてから 気付いた傘は 乗り越して
 ★開かない 唐傘担いで 駆けたっけ
 ★唐傘の 油の匂い 懐かしく
 ★流行り傘 自動で開き 手で畳む
 ★芯曲がり 開かぬ傘に へそ曲げて

猛暑から 一夜明ければ 寒空に
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by tabigarasu-iso | 2011-06-25 12:36 | 随筆 | Comments(0)

高砂

 昔ながらの結婚式では歌われていたものの、今では殆ど耳にすることのない、祝い歌の発祥地「高砂」を再び訪れ、相変わらず淋しい駅前に立ち、珍しい塔を記念写真に納めた。

 先を急ぐ通勤者や学生は、のんびりと携帯電話のカメラで写真を撮る翁を避けて行く。実は、こうして他人から見て奇妙に映る自分を想像するのは愉快なことである。

 食べたい時に食べ、眠りたい時に寝ていた動物が、本能を抑え社会性を重んじる鎧を着て久しい。だが、どんなに進化したとて、裸の猿以上にはなれないものである。

 そんなことを思いながら撮影した写真だが、塔に表示した肝心な文字を見えなくする竹は、何の為であろうか。当地を売り込む目的なら、「ブライダルタウン」が見えるようにしたら良かろうと、裸の猿は考えた。

エアコンを 点けてすまない エコ先生
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by tabigarasu-iso | 2011-06-25 08:36 | 随筆 | Comments(0)