ブログトップ

白髪の旅ガラス

<   2008年 12月 ( 11 )   > この月の画像一覧

鼠の想い出

 丑年に変わる前に、一年の働きを労い、鼠に関わるエピソードを語ります。むかし、むかし、その人が洟垂れ小僧の時でした。稲を玄米や白米に、それに小麦を粉に替える精米所を、小僧の母親が運営していた頃のことです。

動力を水車から電動モートルに替えた小屋で、白い粉で全身に化粧した母親は、小柄ながら俊敏な息子を呼んで、その径は二尺余り、高さが六尺もある、底が漏斗になった金属容器に落ちた錘を取るように、息子の細い腰に帯を結び、頭を下に吊るし降ろして行きました。

 逆さまの息子は、そのまま転落したら誰が引き上げてくれるのか、そんな心配もしないで、容器の下を塞ぐ大きな錘を手にすると、その先で籾の行く手を遮る黒い塊に気付き、母親に懐中電灯で照らして貰いながら。
「おっかあ!でけぇ鼠もいたぞ」

錘と鼠を手にして離さない息子は、母親の太い腕に引き上げられ、子供ながら大人に負けない仕事を済ませ、何とも言えない満足感を味わったことでした。もしも帯が切れたら、深い容器の底まで、息子を引き上げに行ったのは誰か。きっと母親は、小僧の兄を呼び、その腰に帯を結んだことでしょう。

振り返り 想い出すのも 年の所為
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-31 01:30 | 随筆 | Comments(0)

牛の角

 牛の角、その先は鋭く、横に大きく伸び出したもの、横から前に伸びるものと、太く大きな角は見事である。だが、それに突かれたら、簡単に腹は割け、顔は潰れてしまうだろう。そこで、大きく育つ前に、根元から角を切り落とす。

 そうした牛の角で想い出すのは、半世紀前の出来事である。鶏が庭を自由に闊歩し、猫は勿論、犬も自由に歩き回り番犬していた当時、母親と子供が数人で乳牛を追い立て、牛舎に追い込もうとしていた時のことであった。

 追い立てる人間が、背格好の小さな子供と知った牛は、くるりと向きを変え、前に曲がった角を、子供の腹に向け突き出す。その光景を目にした母親は、子供が腹を刺されたと思い込み、血の気を失った。だが、牛の角は子供の腹を割くことも無く、前に曲がった角の中に子供の腹が入り込み、子供の手は角の両端を握っている。

 前が見えなくなった牛は興奮し、首を左右上下に大きく揺さぶるが、鼻の上に載った格好の子供は角を放さない。
「今だ、飛び降りろ!」

 必死な母親の合図に、子供が両手を角から離せば、牛が首を振る勢いで、子供の身体は角の間から離れて宙を飛び、そのまま階段にふわりと落ちる。子供は無傷であったから、階段を数段上れば、牛は既に反省し、母親の前で静かに首を垂れていた。仮に、その角が子供の腹を割いていたら、この駄文は生まれていなかったことであろう。


                想い出を 語る言葉に 飾り無く
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-30 00:08 | 随筆 | Comments(0)

永遠の命

 百歳を目前にして、他界した人が居た。その細胞は、子供、孫、ひ孫へと引き継がれ、今でも生きているが、何度となく細胞分裂を繰り返しているため、承知しているその人の姿は、誰にも認めることは出来ない。

 こうして、太古からの細胞は何世代にも亘って繋がり続け、今後も子孫が絶滅しない限り生き続ける。何と長い細胞の命であろうか。それに思いを載せることが出来れば、永遠の命を持つ人間が誕生することになる。

 その人が、百年近く使い続け疲れた細胞を脱ぎ捨て、新しい細胞に着替えたら、嬉しいことは間違いないが、それ以外の感情も湧きそうだ。その人の後ろには爺さんが立ち、その後ろには、そのまた爺さんが立ち並び、終わりの無い爺さんの列になる。

 その横には、婆さんの列も並ぶから、若い世代は爺さんと婆さんの世話で寝る暇も無くなりそうだ。それに、爺さんも婆さんも暇を持て余しているから、世間話や昔話の相手をさせられ、子供たちが自由に遊ぶことも出来なくなる。

 どうやら、細胞で命が繋がり続けることは良いけれど、その人の思いは、その人限りで終わった方が良さそうだ。次世代の人が、その人を想い出す位で丁度良い。己の細胞は、祖先からの借り物で断りようもないが、自分の存在を示すのも閉じるのも、自分だけの思いで決めて良いだろう。

                 年末に 生暖かい 風が吹き
d0052263_0191121.jpg

[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-28 00:21 | 随筆 | Comments(0)

面白くない話

 どうやら、年輪を重ねた甲斐も無く、肩の力を抜いたつもりが、昔話を織り交ぜたり、仕事の話を加えたり、政治の話に及んだり、当人の知らない間に、自説を固執する、偏屈な年寄りになり、語る本人以外は、面白くも可笑しくもない「呟き」を綴ったこと、しきりに反省する昨今であります。

 それにしても、流石に大企業は抜け目の無いこと。百年に一度の経済危機と言われる中、未曾有な多量の人員整理を敢行しながら、その直後の報道に拠れば、内部に留保した資金は、過去最高の数字と言うことで、それを耳にすれば、開いた口が塞がらない人の方が多いことでしょう。

 これまでの報道の順番が逆であれば、一騒動が起きたかも知れません。内部留保の金額は過去最高ですが、株主の利益を守ることが株式会社の目的であり、これからの市場予測は芳しくありませんので、備蓄した利益を食い潰す余剰人員は、雇用契約に基づき即刻解雇しますと報道されたら、何も言わずに引き下がる方は少ない筈です。

 とは言うものの、数千人の人員整理が、短期間で何故可能になるのでしょうか。社員一人が欠けても、仕事に支障が出る小企業では、考えられないことです。他の人では簡単に変われない仕事であれば、一時的に耐えて貰うことはあっても、やすやすと解雇などする筈がありません。安易に選べる仕事は、容易に解雇されるリスクを伴うこと、良く考えてみたいものです。

               イブの夜 手ぶらな人は 少なくて
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-26 12:26 | 随筆 | Comments(0)

牛歩

 牛の歩みは、馬に比べてゆっくりですが、その牛力は捨てたものではありません。半世紀前のこと、農業や林業の力仕事を引き受ける、大きな牛が田舎では活躍していましたが、知る人は少ないことでしょう。頭上に大きく曲がった見事な角を光らせ、凸凹の農道を苦も無く荷車を引き、山林から大きな木材を馬より旨く引き出す姿は、恐ろしい程の迫力でした。

 トラクターや耕運機が普及した現代では、その姿を見掛ける事もなく、牛と言えば乳牛や肉牛しか知らない世代に、その勇姿を伝えるのは困難なことです。しかしながら、世界的な経済不況に突入した丑年を乗り越えるには、派手な動作の馬とは異なり、牛の静かな底力を知って、そこから不況脱出のヒントを貰うことも、意味のあることでしょう。

 急な坂や段差のある場所では、高速回転で力を発揮する馬は、加速を付けないと力が出ず、容易に上ることができませんが、そうした余裕の無い山林や曲がりくねった農道では、牛は低速回転で力を発揮し、ゆるりと上ることができるのです。

 米国のように消費が美徳の貪欲なニーズに応じ、多種多量の製品やサービスで急激に成長してきた駿馬の組織は、本当に必要なものだけを求める控えめなニーズに対して、製品やサービスが叶っているものか何度も咀嚼しながら、ゆっくり成長していく牛歩の組織へと、構造改革することが必要になりましょう。これが本来のリストラであり、余剰人員を解雇するだけでは、太った馬から痩せた馬になるだけで、とても牛にはなれません。

d0052263_0525215.jpg

                 師走雨 喜ぶ緑 忘れない
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-25 00:53 | 随筆 | Comments(0)

愛のままで

 低音が珍しく甘い声の女性歌手は、昔どこかで聞いた覚えのある懐かしい調べに乗せて、♪だれかとくらべる幸せなんていらない♪と言い切り、♪後から感じる幸せよりも今は♪と遠慮しない、今の若者のような愛を歌います。

 既に年末恒例の紅白歌合戦に初出場も決まり、多くの人が歌手の姿を見ながら、年季の入ったその歌声を耳にすることでしょう。ところで、この歌を初めて聞いたのは、月に一度の訪問先のコンサルを終え、担当者の方と立ち寄る、小さな酒場の有線放送でした。

「昨年の流行は、吾亦紅でしたね。母親想いは結構ですが、奥さんと別れる歌詞が好きになれません」
 一人で店を切り盛りする女将が、それに比べて今年は素敵な歌が流行っていますと、有線放送にリクエストしてくれたのです。その時、還暦を過ぎた人で専有された店内には、思いを果たせなかった昔の青年達が、過去を振り返る静寂が一瞬訪れました。

 戦後の貧しい時に生まれ育ち、我慢を当たり前に成長し、日本の高度成長を担いながら、猛烈な仕事一筋で若い世代には評価が芳しくなく、家族を楽しませる術を知らないばかりに自宅でも疎まれ、後ろ髪を引かれながら引退する多くの団塊の世代は、同じ世代の歌手が感情を露に歌う「愛のままで」に、果たせなかった夢を託すのでしょう。
d0052263_1352862.jpg


                 団塊の 素直な心 愛のまま
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-22 08:59 | 随筆 | Comments(0)

霜降り

 夜露は、朝方の冷え込みで大気中に居場所が無くなり、仕方無く地表に降り立ち細かな雪に似た結晶を作った。いつもの季節より、半月程遅い初霜である。通勤車両のフロントガラスには、分厚い霜で化粧が施され、エンジンを始動し室内から温風を当てて溶かすまで落ちそうない。

 無理やり削ぎ落とす手もあるが、ガラスの表面を傷めるから止めにして、家から持ち出したポットの湯を、少しずつ掛ければ、見る間に霜が溶けて視界を確保できる。この手間を考慮し、自動車通勤の方は、幾らか早めに起きなくてはならない。

 ところで、霜が溶け易い場所とそうでない所がある。朝日の当らない駐車場では、いつまでも厚い霜が居座り続け、冷え切ったエンジンを動かしても暖房にはならない様子で、腕時計を見ながら忙しく煙草を吹かすドライバーを、バス停に並ぶ大勢の乗客が見守った。

 霜降り、肉の世界では有り難い代物で、滅多に味わう機会もないが、霜が降りたフロントガラスは、同じ霜でも有難くない。そんな愚にも付かない想像をしている間に、定刻を大幅に遅れた市内循環バスは、扉を開けた瞬間、人息で濁った空気を顔面に吹き掛けた。
d0052263_23562519.jpg


                霜と露 同じ仲間と 溶けて知り
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-18 00:00 | 随筆 | Comments(0)

ISO14001の弱点

 環境ISOとして世の中に浸透したISO14001は、初版を発行してから既に十二年が経ち、その間、二酸化炭素の削減が国際潮流になり、企業の社会的責任の指針を定めたISO26000の発行も二年後に控え、その弱点が指摘されています。

 それは、外部コミュニケーションの要求の弱さ、製品やサービスに関する規定の不足、製品に関する緊急事態の欠如、製品開発者や内部監査員の力量の欠如と言った、温暖化対策が待った無しの現在から見れば、至極当然の課題が盛り込まれていないことであり、環境パフォーマンス改善を要求していないことや、企業の社会的責任の環境課題の一部しか盛り込まれていないことにあるとのこと。(日経エコロジー2009.01 ISOを問う;吉田敬史氏より)

 こうした沢山の弱点を克服した規格が改訂されるまで、組織のマネジメントは足踏みしている訳には行きませんから、現在の環境マネジメントシステムを改善する際には、それらを環境マネジメントマニュアルに取り込んで行きましょう。

 弱点を把握すれば、その克服は容易なものです。例えば、次の様にマニュアルを改訂されては如何でしょう。
 4.2環境方針;方針中に、環境パフォーマンス改善、持続可能な資源の活用、気候変動の緩          和と適応、自然環境の保護と回復を追加約束。
 4.4.2力量;環境配慮型製品開発者、内部監査員、順守評価者にも力量認定を拡大。
 4.4.3コミュニケーション;環境報告書やCSRレポートでの積極的な情報公開を追加。
 4.4.6運用管理;環境配慮サービスや環境配慮設計の運用管理で、間接的な省エネ、省資             源、安全廃棄を追加。
 4.4.7製品への有害物質混入緊急事態対策なども追加。
 但し、これらの実現は簡単に行かないようですが。 
d0052263_23163633.jpg


               そこの菊 もう冬だよと 要らぬこと
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-11 23:18 | コンサルサービス | Comments(0)

陽だまり

 陽だまりに、黄金色に輝く体毛を預ける老犬あり。それもガラス越しの室内ゆえ、風も受けずに暖かきこと、瞼を閉じて寝息を立てていることから知れる。とうに散歩の時間も過ぎたことゆえ、身体に溜まりし老廃物を排出しなければいけないのだが。

「もしもし、起きませんか。時間ですよ」
 かように呼び起こしても、耳の遠くなったせいか、何の反応も見せず。そこで、気持ち良く朝寝寝坊を楽しんでいるのだからと思い直し、足音を立てないよう抜き足差し足でその場を離れた。

 やがて陽だまりが動き、体毛を暖めることを止めれば、夢から醒めるに違いない。その時になれば、散歩が急務であると自覚して、暇そうに観察する男に向かい、軽く一声吠えることになろう。

『待たせて、申し訳ない』
 一度起き上がれば、じっとなどしては居られない。男の身仕度を急かせようとして、玄関に一足先に降り立ち、再び吠える。
『さっさと頼むよ、女性じゃないのだから』
 さよう、老犬の分身排出の我慢も限界であった。
d0052263_21304876.jpg


                還暦を 過ぎて流行るは 愛のままで
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-10 21:31 | 随筆 | Comments(0)

師走の旅路

 狭い日本とは言え、訪れたことの無い地は数知れない。その一つ、栃木駅に向かい、日比谷線の茅場町駅を出て、東武伊勢崎線は南栗橋駅で東武日光線に乗り換え、目的地に着くまでの一時間半余りは、何とも落ち着きの無い旅路だった。

 見慣れぬ車窓からの風景は、記憶に留める箇所も少なく、西日の差し込む横長の席で下を向いて、その場の心情を綴るのみである。だが、指定席で寛げる新幹線とは違い、臨席の人は頻繁に入れ替わり、目の前を慌しく人が通り過ぎるから、落ち着いて考え事をする訳にもいかない。

 ボールペンの回転を止めて周辺を見渡せば、暖冬の昼過ぎに乗り合わせた乗客の顔には赤味が差して、車内には汗の匂いが漂う。己の分も混ざっていることだから仕方なく、扉の開閉に救いを求める。その時、隣のホームを通過する特急の悠然とした姿を認めた。

 あれに乗っていればと一瞬後悔したが、目的地までは行かないから、この路線が最良と自分に言い聞かせる。ところで、春日部を過ぎてから急激に乗客が少なくなり、車内を己一人で独占する満足感からか、車窓に映る秋の田園風景を飽きずに眺める余裕も生まれた。それにしても、重い鞄を引いた通勤列車の乗り換え移動は、出来ることなら避けたいものである。
d0052263_0122684.jpg

               枝一杯 柿の実残し 葉は落ちて
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-12-07 00:13 | 随筆 | Comments(0)