ブログトップ

白髪の旅ガラス

<   2008年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

黄昏のコンサル

 黄昏とは、陽が落ちて、人の顔も誰だか判らない時、「誰ゾ彼カ」と相手に問う状況の夕闇のことであり、また人生の盛期を大分過ぎた意味にも使われる言葉です。従い、黄昏のコンサルと使えば、夕闇の中で奮闘するコンサルになり、またコンサルの停年を控えた状況とも言えましょう。

 夕闇迫るまでコンサルにエネルギーを投入すれば、声は嗄れ、眼はかすみ、腰も曲がり、それに足裏は痺れ、停年が間近に解釈されても間違いない、それこそ黄昏のコンサルになります。これは、コンサルの修行が足りないからでして、肩の力を抜くテクニックを体得すれば、夕闇の中で眼の輝きを失うこともなく、むしろ輝きを増すコンサルに脱皮できましょう。

 そのコツは、伝えたい内容ほど直接語らず、強調したい箇所ほど静かに話すことでありす。口にすれば実に簡単なことですが、困り果てた方を相手に、これを実践するのは難しい。ここが肝心なところですと声を強め、覚えて貰いたい内容ですと復唱すらしてしまう。これに呼応して、その気に相手も一瞬はなるのですが、これを応用するところまで身に付かない。つまり、指導内容が相手の血となり肉となるには、栄養になるステップを踏む必要があるのです。

 コンサルのヒントが身に付きそうな時、続いて新たな情報が耳に入れば、先の情報が定着する暇がありません。
「本業の環境側面とは、・・・」
 相手が興味を持ち乗り出す様を見て。
「そうです、あなたが担当する本業の一面、それは、・・・」
 その続きは言わず、相手の回答を促すのです。
「はい、歩留まりを向上させることです」
 回答が的外れでないことを笑顔で伝えましょう。それから、静かに語ります。
「歩留まりが上がれば、廃棄物の発生量は、どうなりますか?」
 相手の納得した表情を確かめてから、別の話に。
「ところが、歩留まりが向上しても、エネルギーの使用量は減らない」
 こうして、相手の理解を一歩ずつ確認すれば、いやでも陽は暮れ、黄昏のコンサルになりましょう。
d0052263_2373498.jpg


批判力 受けて進めよ 帆を揚げて
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-30 06:54 | コンサルサービス | Comments(0)

報道の罪

 罪の無い人が命を落とす、無差別な通り魔による殺人事件に関し、報道の罪を見逃せない。犯人の行為は、決して許されないことであり、すぐさま厳罰に処する必要がある。だが、それを朝昼晩と何度と無く繰り返し報道すれば、社会的に認知されることも無く、善悪の基準を持たない輩は、ただ多くの人が注目することのみに心を奪われ、報道される犯人像に憧れてしまうに違いない。

 謂われなく命を絶たれた被害者の無念は、想像を超える。また、家族や知人の悲しみ、怒り、嘆きは計り知れない。自分が被害者の関係者の立場であれば、逮捕された犯人に、自らの手で報復するであろう。それを、誰が非難できようか。被害者は、生きる権利が奪われても死して語れず、犯罪者は、裁判を受ける権利が保障され、弁明もできるのだから、法の下の平等とは複雑なものである。

 それにしても、いとも簡単に犯罪へと走るのは、逮捕されても即座に自らの命が奪われる恐れが無いことを承知の上で、自分の欲望を満たす身勝手であろう。これを助長する大きな要因が、視聴率を上げることを目的として、伝える内容の方向性を持たない報道番組であり、それを許しているのが視聴者である。従い、かような報道番組を選択しないことが肝心だ。

 報道手段が発達していない時代にも、似た様な犯罪は発生していたことであろう。けれど、昨今の過剰報道と類似犯罪多発の関係は、見逃せない事実である。犯罪を抑制するのが狙いなら、楽しい話や賞賛に値する出来事を、繰り返し報道するのが良い。それでも、世の中から犯罪は無くならないであろうが、犯罪の大きな抑止力にはなるであろう。
d0052263_22223963.jpg


                臨席の 体温気になる 車中かな
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-27 22:23 | 随筆 | Comments(0)

夢の訳

 この齢になっても、宿題をしないまま授業に臨み、それを承知の先生に質問されて窮する、学生時代の夢を見るのは不思議なものです。これを、夢判断で有名なフロイトの説によれば、窮することで夢見る本人が満足する、当人も気が付かない無意識の欲求があるのでしょう。

 意識されている課題は、簡単なものから複雑なものまで、忘れたくても忘れられないものばかり、両手両足では足りない数になります。それに該当しない案件は、意識下に追い遣られ、その案件に抱えられたエネルギーが、夢を見る行為で昇華されるとの説ですが、意識できない代物だけに理解が難しい。

 本人が知らない領域の案件とは言え、度々夢に登場するには、それなりの訳がある。それを知ろうとするのは、好奇心の強い人の性。夢分析の専門家に頼るのが早道でしょうが、自分の知らないことを他人に知られるのは、嫌なこと。それに、夢から醒めれば何のことはない、精神分析医に依頼するほど重症でないなら、自分勝手な分析でも良いでしょう。

 このところ、何故に宿題を忘れた夢を頻繁に見る。宿題をしないで、それを済ませたような顔をして臨む、日頃のコンサル態度に対する懺悔なような気がします。コンサル先に予習を課すのは、コンサルの仕事ですが、それに見合ったコンサルの予習も必須であり、それが不十分な事実を吐露しましたから、この案件を夢に任せる必要は、もはや失せたことでありましょう。
d0052263_20164148.jpg

夢にまで 解説付ける 支援病
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-25 20:17 | 随筆 | Comments(0)

大人の夏休み

 最初の数回は覚えてないが、夏休みを迎えること、今年で五十六回目になる。小学校へ入学する前は、毎日が宿題の無い自由気ままな日曜日であったから、学校の休みになる夏休みに限り、学校に慣れる幼児学級に参加したものだ。その時の楽しみは、おやつに出された珍しいコッペパンであり、皆で若い先生が弾くオルガンを囲んで歌ったことであったと記憶する。

 小学校に入り、長い休みと言えば、積雪の多い冬休み、収穫時期に合わせた農繁休暇、それに夏休みであった。冬休みは、寒さと雪が邪魔して遊べる範囲が限定され、農繁休暇は、子供とは言え戦力に数えられたから自由に遊ぶ機会が少なく、夏休みは、涼しい時に少し仕事を手伝えば、残りは全て自由時間になったものである。

 その夏休みも、中学、高校へと進むにつれて自由時間が少なくなり、社会人になってからは、休みそのものが短くなった。それでも、子供が小学生の夏休みになれば海水浴場に出掛け、砂場に横たわりながら潮騒を聞き、温めの麦酒に文句も言わず、束の間の夏休みを楽しんだものである。

 やがて子供達が成人し、海水浴にも行かなくなれば、盆の墓参りで夏休みが終る。折角、夫婦二人の時間を持てるようになったのだから、何処かに連れて行ってと言われても、盆の時期は何処も騒がしい。ならば、子供達が夏休みを終えて学校に通う時期に、盆とは別に大人の夏休み、企てたいものである。
d0052263_6522773.jpg


               危なげな 麦の穂先に トンボ降り
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-24 06:55 | 随筆 | Comments(0)

 便利なものに慣れてしまえば、それが当たり前になり、もはや便利さを感じなくなるから困ったものです。新幹線の静岡駅から米原駅に移動する時のこと、名古屋までの新幹線は、「ひかり」に「こだま」の両方があり、どちらか選べますが、名古屋駅から米原駅までが近くて遠い。

 時折、「ひかり」も静岡駅や米原駅に停車するものがありますが、静岡駅で「ひかり」に乗り込んでも、米原駅に停まるとは限りません。一端、名古屋駅で降りて、「こだま」なり「ひかり」に乗換えが必要です。新幹線の経営者は、東京駅、名古屋駅、京都駅、大阪駅に停まる「のぞみ」の利用客の利便性のことしか、頭に無いのかも知れません。

 「のぞみ」の停まらない駅は、ついでの駅のようです。「のぞみ」が数分おきに発車するのに比べ、「こだま」は一時間に二本もあれば良い方ですから、そう解釈しても間違いないことでしょう。自家用車の普及に押され、空間を載せて走る村中のバスのようです。いつか、「こだま」は廃止の対象になるのかも知れません。

 「こだま」の停まる新幹線駅前に期待を寄せ、企業進出で街の活性化を夢見た人々の目に映るのは、シャッター通りと化した在来線の駅前の光景でありましょう。その時、新幹線駅の誘致に奔走した方々は、どんな行動に出るのでしょうか。利用客を増やす駅前企画は、今からでも遅くないようです。

雷を 充電する器 あれば良い
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-18 08:00 | 随筆 | Comments(0)

生物多様性

 地球生命体が継続的に存続していく為には、環境保全が重要な課題であることを、大半の人が認識しています。けれど、人間が使うエネルギーや食料の問題が優先し、人間以外の生命体にまで気を配る、生物の多様性を配慮した環境保全活動は、今のところ充分とは言えません。

 ここにきて漸くのこと、「生物多様性基本法」が施行され、従来から在る「鳥獣保護法」、「種の保存法」、「特定外来生物法」などの基本的な姿勢が明確になりました。これにより、各法の実効性が高まることでしょう。また、多様な種が持続する開発、絶滅が予測される種の予防的な措置、こうした考え方が明らかにされたことで、規制対象から抜け落ち、絶滅に瀕していた生物も救われることになります。

 この基本法は、既に在る「生物多様性国家戦略」に対して、計画を定めて施策や実績を求めるものですから、多くの人が結果を監視することが可能になりましょう。また、「生物多様性地域戦略」の策定を努力義務としていますから、身近な自治体において、地域特性を反映させた戦略の策定が期待できます。更に、これら戦略策定に民意の反映も明らかにしていますから、開かれた戦略になり得ましょう。

 今後、企業が新事業を起こす場合、事業計画の立案段階から実施段階におけるまで、生物多様性を配慮した、環境影響評価を実施することが必要になります。また、生物多様性を配慮した物品の選択も必要になりますから、森林資源や食料などの調達において、それらが生物多様性に配慮したものか、関連情報の収集が新たな課題になりましょう。

              冷え過ぎに 背広離せぬ 車中かな
 
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-16 12:01 | 随筆 | Comments(0)

太陽の力

 地球の片隅に住みながら、その主人公に成り切って、自らが引き起こした、地球温暖化の決め手は、二酸化炭素の削減にあるから、2050年までには半減するとかしないとか、裸の猿が言ったところで、やはり頼りになるのは、太陽の力であろう。

 地下の石油資源を地上で燃やせば、大気中の二酸化炭素が増えるから、それを削減する努力をしなくてはならない。けれど、仕事量が増えれば、使用する電気の量も増えるから、仕事の進め方を根本的に変えなければ、仕事量を増やして電気の使用量を減らすことなど神業である。

 そこで、急務になるのが、仕事の進め方や生活スタイルの変革であり、「無駄の排除」や「もったない」の視点からの取り組みになろう。その一方で、石油資源に替わるエネルギー源の確保が急がれる。それも、2050年までの話ではなく、数年以内の話でなくては、話にならない。

 それには、これまで在りながら、安価な石油に押されて日の目を見なかった、太陽光発電、風力発電、水力発電、地熱発電、それに光合成で育った植物を燃料にするバイオ発電など、ソフトエネルギー源の実用化を、皆で後押しすることが必要であろう。また、これらの大半は、太陽の力を借りたものだから、天を仰いで御礼を言うのを、忘れないことが大切である。
d0052263_2225082.jpg
               見返りを 求めず放つ 太陽か
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-14 22:04 | 随筆 | Comments(0)

森と生きる裸の猿

 人は、裸の猿であることを忘れてはいけない。大地に根を張り、太陽の光を浴びて生きる植物は、多くの昆虫や動物を育み、その中で裸の猿も生かされている。いつしか樹木から降り、群れて火を操ることを覚えた所為か、怖いもの知らずになった裸の猿は、森の大切さを忘れてしまった。

 裸の猿は、火で森を焼き畑に変え、好き放題に森を荒らした挙句、もはや自然再生が不可能な状態にまで、今でも森を追い詰めている。たが、歩くことはもとより、枝を自由に振り回すことも出来ない樹木は、その場で攻撃の止むのを待つか、果ては全滅するのを待つしかない。

 森を壊滅にすればどうなるか。とうの昔、裸の猿が逃げ出したイースター島で、海を背に内陸を見詰めるモアイ像を見れば明らかである。巨大な人面を模した石造は、権力者の力を誇るものだが、その権力も森からの恵みを失い、間も無く食料難に直面したのであろう、一族を引き連れ島から退散せざるを得なかったらしい。

 人は、学習することが可能な裸の猿である。モアイ像の謂れを知れば、森と生きることに知恵を絞るであろう。とは言え、皆が森に復帰することは出来ないから、代行者を支援するしかない。つまり、森林管理を最優先する裸の猿が生活出来る、森と生きる仕組み作りが急務になる。その為にも、裸の猿の一匹は、企業のマネジメント支援を通じ、新たなビジネスモデルを提案することになるであろう。
d0052263_0524694.jpg


揺れ動く 水面に浮かぶ 蓮の花
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-10 00:53 | コンサルサービス | Comments(0)

陸奥一人旅

 旅の楽しみの一つに駅弁がある。今回の旅は仙台、どの弁当を選ぶか、大いに悩むところだ。帰路の土産は、最初から決めているから迷わない。牛タンに笹かまぼこ、旅費を注ぎ込んでいるから、いずれも値札より品で選ぶ。多少安いより、歓んで貰える味が決めて。

 けれど、試食することが出来ないから、店の人に聞くしかない。
「どちらが旨い?時間が無いから、正直に教えて頂戴!」
 こうして、どちらも不味いとは言えない、店員の困った顔を見るのが楽しみの一つになる。知らない間に、素直さを失っていく自分が見えるようだ。

 かつては、牛タンなど口にしたことも無かったが、それでも仙台に来れば話は別である。
「良く焼いてから、食べてくださいね!」
 その場では、店員の妙な説明は聞き流したものの、ウニと蟹の身でご飯の見えない弁当を腹に納めた後で、成る程と合点した。

 今や隣の韓国でも、米国産牛肉の輸入再開が、狂牛病の問題で穏やかではない。仙台の牛タンも、その疑いで輸入が止まった経緯があったから、店員の説明に漸く頷ける。こうして、陸奥一人旅、旨いものから安心して食べられるものへと話は流れ行く。

中元に 蜜柑が届き 夏慌て
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-08 12:27 | 随筆 | Comments(0)

青空パソコン

 たまには、いつもの椅子から離れ、青空を独り占めにする公園へ出掛け、子供を遊ばせながら猫に気を遣う婦人、身体を鍛えることに満足そうに走る老人、下手な笛を吹いて飽きない変人、話し相手が欲しくて声を掛けて来る植木職人、こうした日常の匂いのする公園で、パソコンを叩いてみると良い。

 最初は木で円陣に作られた椅子に座り、太陽光が強過ぎ見え難い画面を追っていたが、知らぬ間に尻の辺りへ水分が忍び寄る。気紛れに、昨夜の雨が木の椅子に隠れていたのであろう。それを、ズボンの薄い布地は、喜んで吸い込んでしまったから堪らない。携帯パソコンを木の椅子に置き、尻を椅子から離して屈み、パソコンに向かった。

 その様が可笑しく見えたのであろう、弁当を済ませた人の良さそうな職人さん、パソコンの画面を覗きに後ろに回る。生憎、覗き見防止のフィルターが装着されており、横からだと何にも見えない。それを承知でキーボードを静かに叩いていれば、こうしたことが出来たら俺も楽になれると、ぼやきが聞こえた。

 その足元を覗けば、清潔な青い地下足袋が気に掛かる。
「派手な地下足袋ですね。この革靴より、履き心地が良さそうだ」
 湿度の高い砂地には、革靴より地下足袋が良く似合う。
「昔は、毎日履いていましたよ」
 パソコンを叩く様からは、想像出来ない言葉であったらしい。地下足袋は、主の気持ちを映し、地面に意味不明な図を描き始めた。
d0052263_12193317.jpg


              生まれたて 葉から流れる 酸素吸い
[PR]
by tabigarasu-iso | 2008-07-03 12:29 | 随筆 | Comments(0)