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白髪の旅ガラス

飲兵衛

 十年前の飲兵衛仲間に会った。懐の中身が寂しければ寂しいほど、それを癒すように良く飲んだものである。安酒の入った徳利を何本も転がすたびに、気持ちが大きくなり、何を語ったか忘れたが、懸命に唾を飛ばしたものだ。

 互いに職場が変わって会う機会も無く、やがて独立した噂だけは聞いていたが、コンサルを依頼してきた会社の社長とは、嬉しい驚きである。相手も、自社のコンサル依頼先に昔の飲兵衛仲間が居るとは知らなかったようで、すぐさま十年の時を越えた飲み会を約束した。

 急く気持ちを抑えて出掛けたつもりであったが、約束の時間より早い到着になり、近場の喫茶店で時間を潰してから、仲間の会社を訪れてみれば、想像以上の規模である。中の設備も立派だが、室内の清潔さ、若い社員の眼の輝き、スケジュール表を埋め尽くした作業予定、会社の勢いに感心したところで、本命の酒場に向かった。

 昔のように無茶な飲み方は出来ないが、言葉使いに遠慮は要らない。
「少し疲れているようだね」
「このところ肩が痛くてね。四十肩かな」
「何を今更、五十肩でしょう」
 楽しく飲んだ帰り際、交わした握手が心に残る。
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              もてなしの 宴に心 満ち足りて
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by tabigarasu-iso | 2008-03-30 00:14 | 随筆 | Comments(0)

自然の囁き

 春めいた雨上がりの翌朝、大気が冷え込めば濃霧の出番である。ゆっくり歩くなら、周囲が霞みロマンチックな世界に浸れるだけで、先を行くのに支障はない。けれど、速度が売りの電車や車は、視界が悪ければ事故の恐れがある。

 歩くような速度の電車に乗れば、約束の時間に到着する筈も無い。車掌は、判り切った遅れを車内アナウンスした。それが当然のことのように、御迷惑をお掛けしますと言いながら、詫びる気持ちが少しも含まれてはいないのが気に掛かる。もっとも、自然の引き起こした濃霧だから仕方ないことだが、約束の時間までに乗客を安全に運ぶサービスだから、それが出来ない心のこもった詫びが必要であろう。

 余裕を持って出掛けた人は良いが、定刻に到着する電車を信じ、無駄なく乗り込んだ人は、約束の時間に遅れたばかりに、その後の仕事が無くなることもある。そんなことを想像できる人は前者であり、その仲間の一人であることに優越感を持って、電車を停める濃霧を楽しみながら窓の外を見た。

 そこには、いつもなら素早く流れる街並みは無く、梅の花が艶やかに映り、桜の花も開き始め、たまにはゆっくり私達を見てください、そう語り掛けてくる。それは、仕事が忙しいことを理由にして、自然に眼を向けない人に対する、懐の深い自然の囁きであった。
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               今年もね 桜の花が 咲きました
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by tabigarasu-iso | 2008-03-29 23:50 | 随筆 | Comments(0)

免疫が切れ

 梅の花に続き拳の花が満開になり、椿の花も負けずに咲き乱れる晴天の朝、鶯の初鳴きを耳にした。けれど、練習不足の所為であろうか、「ホーホケキョ」とは鳴けず、「ホーホケ」で停まってしまう。それでは、良い機会だから教えてあげようかと、良い気になって口笛を吹けば、「ホー」と鳴らすのが精一杯で、とても鶯の教師にはなれなかった。

 こうした時に限り、誰かが見ているものである。そんな気がして横を向けば、植木の手入れをしていた隣組の人、下手な鶯の口笛に笑いを堪え、挨拶するのも辛そうに下を向いた。そもそも、口笛を吹かなくなって久しい自分を忘れ、鳴くのが本業の鶯に鳴き方を教えようとは、失礼なことである。

 鶯に詫び隣人に照れて先を急げば、瞼を上下する度に、眼球の滑りを止める柔らかな異物を感じた。もしかしたら、春先に特有の空中を漂うスギの花粉であろうか。散歩を始めて一時間は経った頃だから、徐々に舞い込んだ花粉が団子を作り、己の力を誇示し始めたようだ。けれど、杉林の隣で育った田舎者には、懐かしさこそあれ、苛められる理由は無いから平気である。

 こうした強がりを言えるのも、今のうちかも知れない。徐々に体質が変わり、杉の花粉に眼を赤くし、鼻を詰まらせる仲間に、間も無くなることであろう。そんな弱気になるのも、花粉症の顕著な症状は現れてはいないが、このところ外に出る度、風邪も引いてないのに、鼻水が出るようになった所為かも知れない。田舎を離れて四十年も経てば、杉の花粉に対する免疫が切れても、仕方のないことであろう。
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                一輪の 椿に託す 彼岸かな
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by tabigarasu-iso | 2008-03-25 23:05 | 随筆 | Comments(0)

ソロや

 我輩は、シェパードの父と柴犬の母から生まれた、いわゆる雑種犬である。幸いにして、保健所に引き渡され処分される事もなく、もらわれた先で妙な名前を付けて貰った。名付け親は家の主であり、先代の名を引き継いだそうな。どれほど先代に未練があったのか知らないが、「ソロ」の他には思い浮かばなかったものであろうか。

 師走になれば、満十七歳になる。人であれば思春期だが、人の歳に換算すれば、満八十五歳にもなろう。平均寿命が延びている世の中とは言え、そう先は長くは無い筈である。もとより鈍感な耳はさらに遠くなり、両眼は白内障で見え難く、鼻だけは衰えをみせないのが唯一の救い。そのお陰で、臭いを頼りの散歩が可能になっている。臭覚以外に神経を遣わずに済むせいで、皆が仕事に出掛けて誰も居ない部屋で一匹、ゆっくり鼾をかいて昼寝を楽しむ身分になった。

 ところで、誰にも内緒だが、人に混じって生活しているうちに、我輩も人と同じ様に話す能力を持つ犬となる。或る時、テレビ映画を観ていた主人の独り言に誘われ、うっかり返事をしてしまった。
「どうだい、野良猫のノラより、独唱のソロの方が、個性があって良い名だろう」
「ええ」
 幸いな事に、その返事は主人の耳には届かなかったが、もしも聞こえていたら、馬が話すのと同じくらい有名な犬になり、今頃は取材陣に追い回され、命を削っていたことであろう。

 そうなっては、平穏な暮らしは望めないから、どんな誘いがあっても、ワンとしか言わないことにした。
「レタス、食べたそうだね、ソロ」
「ワン(いいえ)」
「そうか、犬も歳を取ると健康食だな」
「ワン、ワン(そんなことはない)。ワウーワン(歳は取っても肉は食いたい)」
 主人の皿から取り分けて貰った野菜だから、義理でも喰わねばならない。さも旨そうに奥歯で噛み砕けば、ニンジンも追加された時には鼻の穴を閉じた。
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           読んで見て 楽しくなければ 苦ばかりに
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by tabigarasu-iso | 2008-03-18 22:43 | 小説 | Comments(0)

審査の極意

 審査は、組織外部の利害関係の無い者が行うものですから、組織内部の事情を詳しく知らない立場で、審査を受ける組織の期待に応える必要があります。事前にマニュアルなどの資料を調べて臨みますが、その内容はマネジメント手順の記載や法規制一覧などであり、組織の課題が具体的に記載されていることはありません。

 そこで、審査現場で見たり聞いたりした事象から、規格要求事項や組織の取り決め事項とのギャップを瞬時に検証する能力が、審査員には必須なものとなります。とは言え、ギャップを発見するだけなら、それ程困難なものではありません。例えば、マニュアルに決めた通りに記録を作成していないことなど、良くあることですから。

 では他に、審査では何を検証したら良いのでしょう。審査員により様々な考え方があるでしょうが、一つには審査を受ける組織が検証された事項を解決することにより、組織の発展に繋がる事項があります。それには、組織のトップが導入したシステムに何を求めているのか、審査冒頭のインタビューで確認しておくことが必要になりましょう。例えば、文書化された方針の中にトップの意志が反映されているか、聞き出す能力が審査の極意であります。
 
 初めて会う外部の審査員に自らの本音を語るトップは居ませんから、審査の狙いを判り易く告げ、審査を経営に活かすために必要なインタビューであることを説明すれば、賢明なトップはシステム導入の狙いを語ってくれることでしょう。
「社長、環境方針に環境負荷の低減を謳っておられますが、先ほど伺った製品の信頼性を高め、売上を伸ばす体制を強化されたい意向に関しては、ほとんど触れられていません。方針を実現するためにシステムを運用されるのですから、社長の意志を方針中に更に具体的に反映されては如何でしょう」

 こうしてトップの要求を吸い上げれば、それに沿った目標の設定から運用に点検まで、それとのギャップを検証することが有効となります。更に、そのギャップを埋めるために、システムの弱い箇所を改善課題に指摘すれば、指摘を受けた側に有効な審査になりましょう。例えば、本業が継続的に発展するための手段として、環境マネジメントシステムを導入することを方針中に明記したなら、本業の目標と環境目標との連動や整合を図るために、環境目的・目標を策定する際の考慮事項として、本業の目標が組み入れられていないことを指摘することが可能になります。この際の指摘基準は、トップインタビューでの発言や環境方針になりますから、誰もが納得し、自らのシステムを進んで改善すること、間違いありません。

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             遠き道 荷は手に持たず 背に負いて
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by tabigarasu-iso | 2008-03-14 00:57 | ISOマネジメント | Comments(0)

内部監査の極意

 御承知の通り、内部監査とは、組織内部の監査能力を持った人が、組織で決めた手順や計画に対し、決めた通りに活動しているか否かを検証するものです。否の場合は不適合となりますが、否のみを提示するだけでは、監査能力の半分しか発揮しないことになり、残りの半分をどうするか、これが監査の極意と言えましょう。

 例えば、部門責任者が自部門の節電目標に関し、目標値を大幅に下回っている報告を受けながら、何等指示を出さない状況を、内部監査で不適合として指摘した際、部門責任者が是正処置として、節電手順書の更なる励行を挙げたとしましょう。これを、そのまま認めて受理する監査では、目標値と実績の差は広がるばかりです。

 監査の極意は、不適合の指摘をする前に、目標値と実績の関係を、監査時に説明させることに始まり、是正処置では、部門責任者が何故不適合を見逃したのか、その原因が真に迫るまで、厭きずに何度も指導することに他なりません。それには、是正処置の有効性を確認する、論理的な思考を展開する監査能力が必要です。

 例えば、当該の部門責任者は、環境方針を頭に入れて部門の目標を作成したのですから、環境方針が部門目標を設定する枠組みとして、適切な内容であるか検証しなくてはなりません。ところが、環境方針には省エネに努めるとしかなく、目標の枠組みとして不適切な場合、原因の一つは環境方針と言えましょう。また、それに言及できず、部門目標を設定した責任者のISO規格の理解不足が二番目の原因であり、それを補う教育訓練計画の不備が三番目の原因となります。

 こうして、原因が幾つか存在することを気付かせることが大切であり、更にまた、原因に相応しい処置が検討され、実施されるまで、見届ける辛抱強さを持たなくてはなりません。これが可能な監査員は、それなりの経験を経て初めて可能になりますから、その育成に資金と時間を投入する重要性を、経営層が認識した上で資源を投入することが、監査の極意を知る扉と言えましょう。
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             コンサルの 行きより帰り 智恵が湧き
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by tabigarasu-iso | 2008-03-13 20:04 | Comments(0)

 当然のことながら、人は一人では生きて行けない。コンサルは利用者が居なければ喰うに困る。そのコンサルが、ここまで生き延びてこられたのも、利用者のお陰様だから、ここに感謝の意を込めて、ISOマネジメントシステム維持の極意を申し上げたい。

 どの組織も、組織固有のマネジメントシステムがある。売上第一の組織もあれば、品質優先の組織もあり、その規模や管理形態も様々な組織に、ISOの管理形態を無理に着せようとすれば、多少窮屈でも数年は我慢もできるが、それ以上は無理と言うもの。勿論、それを強いているのは、ISOではなく、狭い解釈を得意とする輩であるから、広い解釈で伸び伸びと活用して貰いたい。

 ISOマネジメントの導入効果を上げるには、これをトップが道具として使いこなす知恵がなくてはならない。管理責任者を置くにしても、その報告を受ける際、トップの望むものが皆無で、ISOの要求事項に形ばかり対応した報告では、誰がトップであれ呆れることであろう。こうなるのも、システム導入を管理責任者に一切任せ、維持に関知しないトップの責任である。

 想い出して頂きたい。経営方針の作成に頭を悩ませたほど、ISOの品質方針や環境方針に神経を注いだことか。管理責任者の説明を受け、サインや捺印だけが役割では、トップの責任は果たせる筈がない。ISOと言う道具は、その要求事項の中にどんな効能があるのか、まずはトップが理解したうえで、方針に自らの狙いを盛り込む必要がある。そのことを教えてくれる適任者が社内に存在するのか、誰も自分に鈴を付けて呉れそうもなければ、外部の者を利用するのが良い。

 本業とISOの目標管理、両者が整合している組織は珍しい存在である。両者の乖離を許しては、ISOを本業発展の道具として活用できる筈が無い。品質や環境の方針にトップの狙いを具体的に入れ込んだ後、更に重要な作業は、本業とISOの目標とが、整合していない場合の軌道修正を、トップや管理職が厳しく実践することである。例えば、コピー用紙の削減も良いが、減らす手段が裏面使用だけで事務作業の効率化に言及しない目標など、即座に却下すべきであろう。

 月例の業務報告は、売上、受注、開発の進捗などが定番だが、この中でISOマネジメントの実績報告を行う組織は、これまた少ない。例えば、利益が予定に達しない原因に、燃料の使用量が増え、更に値段が高騰したことも報告される。その際、燃料の効率活用に関する環境目標にも言及しなければ、ISO導入の意味が無かろう。そのことを想定したことも無く、業務報告にISO目標の監視機能が働かない仕組みは、やがてISO活動の停滞を許すことになる。

 こうしたISOマネジメント維持における好ましくない状況を、トップは見直しで発見しなければならない。それには、管理責任者から判断に必要な報告を業務報告と同時期に受ける必要があろう。マネジメントシステムを運用した結果、目標が達成出来そうも無い項目は何か、目標達成が可能であっても方針の実現に叶っているか、法規制を守り社会的な責任を果たせる仕組みが機能しているか、好ましくない情報を率先して報告できる場を設けるのが、トップの役割であろう。それには、会議と言うより、雑談の宴が適しているのかもしれない。
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              咲く花に 明日の生き方 訊いてみて
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by tabigarasu-iso | 2008-03-11 21:40 | ISOマネジメント | Comments(0)

雑談会議

 困ったことに、会議が始まると必ず居眠りを始める人が居ます。二人の会議では無理でも、多人数になればそれが可能になりますから。それに、眠たくなるような会議が多い所為でもありましょう。

 その種類も色々とあり、審議を旨とするもの、報告の場だけのもの、意見交換を狙いとするもの、それに親睦を深めるものなど。従い、会議の成果が見えないものも多くなりますが、疎通を図る意図であれば、それでも良いことになります。

 ところで、「会議」と名が付くと意見や提案が出難い傾向にあるのは、どうしたものでしょう。それに比べ、「雑談」の中で意外と役立つ情報が発信されますから、それを疎かにしてはいけません。

「環境問題のウソのウソ、読みましたか?」
「ええ、一年前に」
「それは嘘でしょう。今年に入り発行されたばかりですから」
「そうか、私が読んだのは、そのウソが一つ足りない本でした」
 こうして、リサイクルや温暖化の嘘の話に花が咲き、環境負荷の低減はコスト低減とはイコールでは無いという、良く考えれば当り前の事実を再認識できる「雑談会議」になりました。

                少しだけ 雑談会議 成り立って
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by tabigarasu-iso | 2008-03-09 02:17 | 随筆 | Comments(0)

「こだま」で行こう

「静岡まで、往復切符を御願いします」
 条件を言わずに新幹線の窓口で言えば、間違いなくひかりの時刻を告げられる。
「指定席は空いていますか?通路側で」
 かように条件を付ければ、あいにく指定席は満席ですが、自由席ならと愛想良い。

「それでは、こだまで御願いします」
 時間に余裕があるから、こだまで行こうと切り替えた。
「十分ほど、遅くなりますが」
 それほど急ぎの顔に見えるのであろうか。

 勝負は、セミナー講師を終えてからである。ISO導入を控える客先の、導入意識を高める前座の講師に招かれ、それが終了してからのコンサル提案が狙いだから、その策を練るゆとりが欲しい。勿論、既に提案資料は準備済み。だが、口頭説明のシナリオが更に大切な決め手になろう。

 重点管理項目の特定から目標管理への展開など、文字に置くだけでは、それを見る相手の心を打つ訳が無い。どの職場でも、業務上の課題はあるから、それを聞き出し整理して、その課題を解決すれば、どんな成果が現れるか、その一例を尋ねてみることにした。

 そこから、品質問題、環境問題、安全問題との関連を探ってみせれば、ISOマネジメント用語を知らない人にも理解ができる。そこで初めて、ISOマネジメントの話を展開しよう。残るは費用の問題、目安の見積書を提示して、腹割っての調整にする。あとは結果を待つことにしようとシナリオを決めたところで、こだまは三島をゆっくり発車した。

            小春日に こだまに乗って 梅の花
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by tabigarasu-iso | 2008-03-07 12:54 | コンサルサービス | Comments(0)

待ちくたびれて

 幾ら待っても来ぬ人を、それでも待ちたい人も居る。恋人を待つ、昔の貴方はそうであった。それが妻や夫となって久しくなれば、人目を避けても逢いたい情熱を忘れ、勝手に一人で晩酌を始める夫になり、会話が弾んで遅くなるわの妻になる。

 ところが、息子や娘を待つ親の身になれば、忘れた情熱が蘇るから面白い。それも、夫は娘の帰宅を待ち侘び、妻は息子の帰宅が気に掛かる。かつての想いを、今更呼び戻すつもりもなかろうが、子を待ち侘びる親の情、いつになっても消え去る事はない。

 それを知っているのか知らないが、娘は約束の帰宅時間を簡単に忘れ、息子は訪問の日取りすら口にしなくなる。それぞれ事情もあろうが、待ちくたびれる親の心情も察する必要があろう。まだ元気だから、何時でも会えると先延ばしの間に、命の消える恐れは消えない。

 何も脅すつもりなど毛頭無いが、親の額に手を当てて、冷たくなった肉塊と悟るより、憎まれ口を聞きながらも、血の通った会話をするのが良かろう。それが充分にできなかった親が言うのだから、間違いないことである。
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雛祭り 訳は知るまい 孫娘
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by tabigarasu-iso | 2008-03-06 18:03 | 随筆 | Comments(0)