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白髪の旅ガラス

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猪去り鼠来る

 殆ど誰もが実態を知らない猪の年が終わり、皆が生態を良く知る鼠年になる。とは言え、昼は姿を見せず、猫の寝静まった夜に活動するのが鼠。それが猫族の退廃により、襲われる恐れが無くなったのか、昼間から天井裏を走り回り、うるさいこと呆れるばかり。

「おい、寝ている場合ではありませんぞ。獲物の騒ぐ音が聞こえるでしょう。さあ、いまこそ己の存在を示すため、立ち上がれ猫族よ!」
 かように尻を叩いても、そこに食べ切れない量の餌があるから、どの猫も腹が満腹で耳を傾けもしない。揃って腹を天にさらし、惰眠を貪る呆れた猫ばかり。

 これには種族を越えて、担当が異なる老犬も吠えざるを得ない。
「いい加減にしなよ!首輪もなしに自由に暮らせる立場じゃないか。その礼として、天井裏に飛び込みなされ。さもなければ、いつまで経っても干支の仲間にはなれませんぞ」

 これを無視することもなく、憎らしく応えるのが猫らしい。
「そうね、犬さんの地位が上がらないのも良く判るわ。自分のことは棚に上げ、他所のことばかりに関心を持って。干支に入らなくても結構ですから、お静かに!」
 こうした犬と猫の遣り取りを天井裏で聞きながら、どちらも自立できない立場に変りはないと呟いたのは、頭髪の白い鼠でありました。
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               連れ添いの 無事を祈って 編む器
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by tabigarasu-iso | 2007-12-31 14:45 | 随筆 | Comments(0)

独楽まわし

 当り前のことですが、年末があるから年始があります。十二月が一月に替わるだけですから、冷静に考えれば、この時期だけを捉えて、何も大騒ぎする必要もありません。けれど、年始になれば別の世界がそこに広がるようで、白髪の頭になった今でも、子供の頃と同じ様な期待に、胸の奥が騒ぐのは何故でしょうか。

 新年明ければ、おめでとうの嵐が吹いて、何処も彼処もおめでたい。祝いの酒に朝から酔っても、誰もが大目に見てくれよう。その酔いの醒めないうちに昼の雑煮を楽しみ、熱冷ましにとか何とか理由を付けて、手元に置いた冷酒をぐいと胃袋に流し込めば、酔いは次第に速度を上げる。その勢い殺さず、盃を置く間を惜しんで口に含めば、待ちに待った夕闇訪れ、遠慮なしの宴会に。

 それが楽しみで、年始に胸が騒ぐのは、飲兵衛だけです。その世話役の女性人は、女の正月まで飲兵衛相手に大忙し。ところで、昔の子供達は新しい服や靴を買って貰うだけで胸が騒ぎ、普段は貰えない大金を懐に、あれこれ手に入れる品を想像しては、更に胸を高鳴らせたものですが、いつでも衣服を買って貰える今の子は、お年玉も当然のこととして、年始に何を望んで胸を騒がすことでしょう。

 ふと気付けば、いつの間にか大人になって、仕事で明け暮れることを良い事に、素直な自分を何処かに仕舞い、子供の心が見えなくなれば、夢中になるのは酒ばかり。それじゃいつしかアルコール依存症、やがて好きな仕事もままならぬ。そうなる前に、時には大人の殻を捨て、独楽まわしにでも夢中になれば良い。
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               飲み過ぎを 知らぬ時代が 懐かしく
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by tabigarasu-iso | 2007-12-28 15:51 | 随筆 | Comments(0)

落ち

 通訳の力を借り、しかも相手の顔が見えない電話による国際会議は、互いに事前配付の資料を見ながら奇妙に進む。相手が見えれば、顔の表情や手振りで賛成なのか反対なのか、それとも興味がないのか読めるのだが。

 その時間帯、こちらは昼で相手は夜中、腹の空いた者と眠たい者が、日本語で話して米語に通訳して貰い、相手がそれに米語で答えるのを聞いた後で日本語に訳して貰う。何とも歯痒い一問一答だが、前向きな話の内容であれば、山彦と話しているようだが苦にはならない。

 けれど、目標の達成が難しく対策が不充分な案件の遣り取りになれば、事情説明、通訳、質問、通訳、沈黙となり、並の会議よる数倍の時間が掛かる。とうとう、一時間の予定が三時間余り、こちらの腹の虫は鳴き出したから、先方の瞼も下がり始めたことであろう。

 それでも、電話は切れない。同じ日本語であっても意志の疎通は容易ではないから、文化や習慣が異なる相手と資料だけで、互いに伝えたい真意が伝わる筈がなかろうと言い聞かせ、声の感じから相手の心情を推し測れば、そろそろ落とし所が欲しい様子である。そこで、落語の「落ち」を思い付いたが、通訳するのが難しいだろうと諦めた。
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              言葉持つ 人のみ悩む その違い
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by tabigarasu-iso | 2007-12-24 19:08 | 随筆 | Comments(0)

歌合戦

 幾ら戦っても、人畜無害の歌合戦に、久し振りの参戦となりました。互いに十八番と信じて疑わない自慢の歌を、休む間も無く何曲も放歌するものですから、どれがそれだか判らない混戦になり、制限時間を告げるカラオケ店の電話にも、遠慮無く延長戦を告げます。

 歌には歌う人の想い出が重なっていますから、これまでどんな人生を歩んでこられたのか、気持ちを込めた歌詞を頭の中で反芻すれば、その道が幾らか見え始め、さも自分がその道を歩いたかのような気持ちになり、思わず涙が浮かぶ場面もありましょう。

 その歌は、皆が戦いに疲れ果てた頃でした。恋人に会いに行く途中、飛行機事故で亡くなった相手を偲ぶ「マイウェイ」のメロディーが流れ、すっと立ち上がりマイクを取ったのは、いつも笑顔で応対してくださるISO事務局の控え目な方でしたから、誰もが視線を文字の流れる画面の方へ。

 力強い歌声が小さな部屋を揺るがし、その歌詞は当人の行く新しい道を、歌合戦の仲間全員の脳裏に浮かべてくれました。時折、音程は外れたりするものの、歌詞は正しく最後まで外れない。その人の行く道は、来月から別の道になりますから、お別れ歌合戦にもなりました。
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                歌わない 涙が涸れる その歌は
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by tabigarasu-iso | 2007-12-21 16:39 | 随筆 | Comments(0)

久し振り

 どれ位の時間が経ったら、久し振りになるのでしょうか?一ヶ月振りの電子メールの枕詞、一年振りの年始の挨拶、十年振りの友との再会、どれも「久し振り」の使い方に間違いはありませんが、一週間の御無沙汰では使う人も少ないことでしょう。

 ところが、住み慣れた巣を一週間も留守にすれば、久し振りの感に浸るのは不思議なものです。それが勤務先であれ自宅であれ、何とは無しに他所の世界に足を踏み入れた様で、自分の馴染んだ空間と理解するまでに、多少の時間が掛かることは無いでしょうか?

 それが更に短く、一日千秋を思うように、一日でも千年の別れを感じる親友や恋人の関係もあり、ますます「久し振り」の使い方は複雑になります。そこで、几帳面な人は、「久し振り」を使う基準を定めようと悩み、そうでない人は、その時の気分で使えば宜しいと悩みもしない。

 年の瀬、御無沙汰している知人を想い描きながら、年賀状に久し振りと書いたものの、はてさて、顔を見てから何年経ったものかと指折れば、両手両足を総動員しても足りません。かような時には筆を置き、「実に久し振り」と電話するのが宜しいようです。
              久し振り 文字に置くより 声に出し
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by tabigarasu-iso | 2007-12-19 12:24 | 随筆 | Comments(0)

清々しい人々

「最近の若い者は、まともな挨拶もできない」
 かように嘆く偉い人に限って、まともに挨拶ができないものです。まともな挨拶を期待するなら、自からまともに挨拶しないといけませんね。

 午前のコンサルを終え、食堂に移動するエレベータ前のことでした。そのエレベータは定員が四名の小型なものでして、既に若い方が三名ばかり並んでいます。その後にコンサルと事務局を併せて三名が並びました。その瞬間、後を振り向いた素顔の清々しい女性が三人、挨拶はもとより驚く行動に出たのです。

「今日は!お先にどうぞ!」
 こう言い残し、自分達はエレベータ横の階段を降りて行きました。四階からですから、下りとは言え楽な行動ではありません。言われるまま、エレベータに乗り込んだ自分が情けなくなる前に、その潔い行動に感動したものです。

 更にまた、食事を済ませた帰りのエレベータで、別の若い方が三名、同じ行動を取りました。さすがに昇りですから、歩いて階段を上がろうとする方を一人招き入れましたが。往復で遭遇した清々しい人々、どうやら偶然ではないようです。
「この会社の若い人は、実に清々しい挨拶と行動ができますね」
 午後、コンサルに勢いが付いたのは、感動のエネルギーを貰った所為でありましょう。
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久し振り 富士を見たよな 挨拶に
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by tabigarasu-iso | 2007-12-15 20:59 | コンサルサービス | Comments(0)

忘年会

 年齢の違いにかかわらず、お互いに気持ちの通い合うところがあることを、忘年と言うそうです。それに会が付けば、その年の最後の談笑や飲食の機会を持つことになり、その相手を替えて何度も繰り返せば、どれが本当の忘年会であったか思い出せない、忘却の会となりましょう。

 会の参加者全員が、揃って会の内容を忘却すれば、何の問題も発生しません。けれど、中には酔った振りして個人情報を仲間から集め、後日、本人の許可もなく流すことを趣味にする人もありますから、宴席で流しても良い情報と具合の悪い情報の選択には気を付けたいものです。

 ところが、忘年会という宴会は、皆が忘れてくれる錯覚を持たせるところがいけません。乾杯が始まる前、冷静に情報管理を誓う人でも、何度となく乾杯を進める間に、心身の疲れをアルコールの魔力が取り除き、ついでに情報管理の扉も開いてしまいます。

 こうした事態を避けながら、忘年会を楽しむ手段は無いものでしょうか?宴会の前日は肝臓を休め、当日は飲み過ぎず、酔った振りをする。そうした策もあるでしょうが、どれも前向きな手段ではありません。流しても良い情報ばかりを頭に詰め込み忘年会に臨む、日頃の訓練が最も効果的なようです。
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               後悔は 先に立たずと 繰り返し
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by tabigarasu-iso | 2007-12-12 00:18 | 随筆 | Comments(0)

けれど根は深い

 マネジメントシステムの改善点は何でしょうか?見える点の処置だけでは、システムは改善されません。良くモグラ叩きゲームに例えられますが、出て来たモグラを叩いて満足している限り、システムは改善されませんから、事の本質に迫ることが必要です。つまり、モグラが出て来ないようにすることであり、ゲームは楽しめなくなりますが、それに勝る楽しみが実現することになりましょう。

 けれども、事の本質に迫るには、覚悟を持って臨むことが必要な場合が多くあります。何故か?経営の本質に迫る場合が多くありますから、トップが改善提案を行う者を保証しなければ、提案者の細い首など、容易に飛ぶことになるでしょう。例えば、トップから管理責任者に任命された人が、その任を履き違えた場合、それを正す必要があります。

 しかしながら、誰がその役割を引き受けるでしょうか。役職の下の人が上司の誤りを指摘し、評価される仕組みを準備する必要があります。さもなければ、その場で返り討ちになり、単身赴任の島流しになりましょう。そうされないコツを、誰か教えてくれないものでしょうか。

 かような時に、遠慮なく力を発揮するのが、傭兵としてのコンサルです。そのコンサルが、マネジメントシステムの改善支援を委託された立場であれば、管理責任者の任を責める替わりに、それを許す役割の曖昧さなどを改善点に上げ、当人も被害者として改善に協力してくれるよう、お願いすることになるでしょう。

 これは奇策などではなく、管理責任者に任命されたものの、当人は新しいシステムを意外に知らない場合が多く、部下に伝えられない弱点を、コンサルが汲み取るものです。この原因は、経営陣の教育訓練を社内講師で行う場合、詳しく説明する勇気と時間を持ち合わせないことでしょう。こうして、猫に鈴を着ける役割は、コンサルが宜しいようです。

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冬迎え 春待つ芽知る 気長かな
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by tabigarasu-iso | 2007-12-10 18:09 | コンサルサービス | Comments(0)

そんな事は関係ない

 水着一枚の裸姿で人前に踊り出て、世情を皮肉る一句を話した後で、『そんな事は関係ねぇ』と言いながら、身体を曲げ左手で右足をリズミカルに指す、一発芸が流行っています。これを、大人から意味も判らない幼児まで真似する事態は、笑って済ませる事態か、憂慮する事態か、人により評価が分かれましょう。

 それを、二歳を過ぎたばかりの幼児が口にしたところで、意味も判らず雰囲気を楽しむだけですから、そんな事は関係ありません。また、『オパピ』などと叫んだところで、驚く事はないでしょう。ただ、口にした際に大人が笑う雰囲気が心地良く、それを求めているだけです。

 けれど、それを分別の分かる学生や青年が口にする時、場違いであれば注意が必要であり、何も考えていないようであれば、憂慮する事態と言えましょう。『そんな事は関係ねぇ』と言う前に、成る程と唸る風刺があれば別ですが、現状を否定するだけに使うなら、前向きではありませんから、禁止されても仕方ありません。

 それにしても、良く聞けば笑うような話でも無いのに、皆が注目するのは何故でしょう。理由なんか関係ねぇと言われそうですが、考えない訳には行きません。それと言うのも、戦争を知らない世代ながら、事実を知ることを忘れ、雰囲気に押し流されて戦争に突入した過去を繰り返さない為にも、何故を忘れてはいけないと考えるからであります。
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               庭先に 散らばる紅葉 足を止め
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by tabigarasu-iso | 2007-12-07 17:27 | 随筆 | Comments(0)

でも

 人の話に愛想良く頷きながら、会話のどこかで、否定の『でも』を多用する人が多くなりました。
「そうですね。話の内容は良く判ります。でも、この場で過去ばかり責めても、何も生まれません」

 かような、前向な否定は結構ですが、そうでない場合の否定には困りものです。
「過去のデータが無いのに、目標数値を具体的にしたのが、失敗でした。でも、それを指導したのはコンサルですよ」

 確かにその通りですから、否定はしません。当然のことながら、マネジメントコンサルは、施策を検討し、そこから推定できる目標数値を設定する指導を行います。同時に、その目標達成が危うい場合、予防処置を取る支援も忘れません。けれど、それを今更言っても、始まらないことです。

 コンサルに責任を転嫁するのは、相手がコンサルを頼りにしている証拠ですから、それを裏切らないように、潔くコンサルの責任を肯定したところで、即座に改善策を提案しなければなりません。そこで、次のように問えば、でもはもう聞こえなくなりました。

「良い機会ですから、何故そうなったのか、皆さんで原因を考えてみましょう。まずは、目標の案を作成された推進者、次に、その目標を検証された部門責任者、最後は、目標を承認された管理責任者の順で御願いします」
 
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知らぬ間に でもが得意な 中年に
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by tabigarasu-iso | 2007-12-06 00:05 | コンサルサービス | Comments(0)