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白髪の旅ガラス

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気になる音

 どうにも捨て置けない音がある。キーボードを叩く音、両手を器用に使い連続して打ち鳴らす人のものほど喧しい。その真似をしたくても、右手を中心にして、時たま左手を補足に使う程度では、いつまで経っても喧しいレベルには到達しないであろう。

 それでも仲間として、周囲の方に迷惑にならないように、つい声を掛けたくなる。そこで身を乗り出し横顔を見れば、耳にイヤホンを差し入れた血色の悪い青年が、液晶画面を睨み、それは見事にキーボードの上で十本の指を操り、電子メールの作文中。

 文字は小さくて読めないが、もう少し近付けば判読できるから、それも注意した方が良いが、そこまではしない。たぶん、声を掛けても聞こえないであろうから、前に回って顔を覗き込み、自分の耳に右手を当て、指を小刻みに振った。

 どこでキーボードを叩いても構わないが、他人の迷惑にならないよう、ソフトタッチを覚えて貰いたいものである。音のするまで叩かなくても、文字盤のスイッチがオンになれば、それで良い。それで気が済まない方は、木琴にでも挑戦してみてはどうだろう。
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                 騒音の 源去りて 秋深し
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by tabigarasu-iso | 2007-11-29 17:21 | 随筆 | Comments(0)

 人間のように、雌雄が別の生命体は、二つの命から一つの命を生み出す。それが二つ集まり、再び一つの命を生み出していくから、親の命は少しずつ子孫へと引き継がれ、永遠の命の連鎖がそこに生まれる。

 確かに、命は引き継がれていくが、心までそうされないことには、人間は自分の命が永遠に続くとは考えない。そこに現れるのが、自分と言う心が消え失せてしまう、死の恐怖である。引き継がれる命に、何とか自分の心を移植できないものであろうか。

 ところで、自分の心を百パーセント移植したのでは、次世代の命が生きる意味が無くなるから、自分を自覚できる最少の範囲に心を整理し、少しは次世代の心も加えて行く。こうすれば、先代の命は消滅しても、少しばかり心の変化した自分が継続していくことになろう。

 しかしながら、少し心の変化した自分は、もはや別人となるから、先の自分が同居することは許されない。してみれば、命が継続することを優先し、次いで自分の心を継続するために、別の道を探り続けるのが、人間の歩む道であろう。その道には、自分の心を表す絵、映画、歌、詩、手紙、日記、小説などがあり、それに呟きもある。
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              出来るなら 樹齢真似たい 命かな
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by tabigarasu-iso | 2007-11-27 18:59 | 随筆 | Comments(0)

 稲刈りを終えた田で燃やされる藁の煙は、その日の空気より重かったのであろうか、天に昇るのを諦めて、手の届きそうな上空を横一直線の雲となって拡がり、近くを走る高速道路の渋滞した車の空気取り入れ口にも遠慮なく舞い込み、テールランプの点滅に飽きた運転手の鼻の穴を、懐かしい香りで満たした。

 樹木一本を伐るにも村役場の許可が必要になり、庭の枯れ木や紙くずを燃すにも自由にはならない、自然や周辺の環境に気を配る時代になっても、燃やすことが認められているのは、春先の枯れ草を燃やす野焼きなど、ほんの僅かな場合だから、木や草を燃やした煙の臭いを知らない人が増えていくのは、仕方の無いことだが困ったことである。

 機会があれば、ストーブで薪を燃やしてみると良い。初めは嫌々煙を上げていた薪が、やがて勢いを増してゴウゴウと音を立てて燃え盛る様は、いつまで経っても見飽きる事は無いであろう。間も無く、天蓋に置かれたヤカンの水は沸騰し、ガスや電気とは異なる強力なエネルギーの所為か、ヤカンそのものも揺り動かしながら、自由奔放な蒸気を吐き出し続ける。

 こうして薪を燃やせば、身体中に強烈な焔の臭いが滲み込み、また、盆の迎えや送りで藁を燃やせば、香ばしい臭いが身体を包む。かように、自然が育んだ草や木を燃やし、その煙と供に暮らしてきた者が、その臭いに惹かれるのは、懐かしさも手伝い当然のことであろう。けれど、草や木をエネルギーにすることが叫ばれる時代にあり、藁や薪を燃やした臭いは、そうでない者にも身近になるのかも知れない。
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                幼子の 生木に咽る 囲炉裏端
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by tabigarasu-iso | 2007-11-25 22:21 | 随筆 | Comments(0)

男言葉

 男女平等の世の中だから、着る物、食べる物、棲む所、それに話し方において、男と女の差なんて気にしない方が増えていることであろう。けれど、女性が自分のことを「俺」と言い、男性も同じ様に話したら、声色で男女の違いを聞き分けるしかない。

 そんな地方で生まれ育ったものだから、大きな駅があり、人の大勢行き交う交差点や、大きなデパートのあるハイカラな街に出た時に、女性が自分のことを「わたし」と耳にして、とんでもない世界に来たものだと感じたものだ。

 根っからの田舎者だから、東京便を話すようになっても、気の置ける相手には、つい「わたし」から「俺」と口にしてしまう。相手のことは、「おめえ」つまり御前と言うから、恐れ多く、尻込みしながら驚く様が面白い。

 ところで、最近の女子高生が大きな声で遠慮なく使う男言葉は、田舎に舞い戻ったようで懐かしいが、もう少し話の内容に厚みが欲しいものだ。それに、朝から厚化粧して女性らしさを強調するなら、それに見合った言葉使いに期待したい。
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               良く通る 静かな車内に 喋り鳥
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by tabigarasu-iso | 2007-11-23 00:04 | 随筆 | Comments(0)

戦況を見詰め

 依頼者と言う圧倒的に有利な立場にあった筈の味方の軍勢が、受託者と言う弱い立場の審査員、つまり審査機関の斥侯が何気なく口にした確認に、つい本音を告げたところから、受身の立場に回ってしまった時の話である。

「騒音規制法より厳しい自主基準、環境保全の立場から、大いに結構なことです。それを確認された記録がありましたら、見せてください」
 こう言われて、記録を見せれば、それを上回る測定値だから、審査員も見逃すわけには行かなかった。

「自主基準が守られていませんね。こんな時、どうしたら良いのですか?」
 マニュアルに従い、不適合処理をしましたと答えれば良いが、それをしていないから、実務担当者は黙っている。

 こうした戦況を見詰めながら、次の手を考えるのが、コンサル稼業の面白い所で、逃げ惑いたい兵士を引き止めるより、戦意を失っていない兵士を見付け、その目を捉えてテレパシーを送った。
『良いではありませんか。不適合処理が難しい仕組みを、指摘された原因に取り上げれば、それをし易い仕組みに変えるチャンスになりますから』
 
 かように伝わったか否か判らないが、終始笑顔を崩さないコンサルを見て、理解した様である。
「判りました。取り急ぎ、応急の処置をした後で、原因究明をしっかり行い、再発防止の仕組みの改善を行います」
 力強い返事は、間も無く不利な戦況を互角に戻した。 
 
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審査終え 立ち会う寡黙 金になり
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by tabigarasu-iso | 2007-11-20 21:43 | コンサルサービス | Comments(0)

鑑定流行

 家族に内緒で大金を払い手にした屏風が贋作であったり、何気なく傘入れに使っていた壺に高値がついたり、何でも鑑定する番組は、骨董品の由来説明に加え、付けられた値に一喜一憂する持ち主の表情も面白く、再放送と知りながら最後まで観てしまいます。

 確か、同じ時間帯で別の番組では、他人の将来を好き放題に占い、耳にしたくない言葉を遠慮なしに言い放ち、いつしか言われた本人をはじめ、視聴者の気分も悪くするような番組も存在するような。

 また、血液、血管、心臓、肺、肝臓、脳などの検査を有名人に受けさせ、危険度のランク付けを、深刻な面持ちで医師が行い、判定された者が暗くならないよう、笑いを交える悪趣味な番組もあります。更に、番組の最後には、余命を具体的に教えてくれるのですから、開いた口が塞がりません。

 かように、サッパリ楽しめるものから、不愉快を通り越し寒さを覚えるものまで、何でもかんでも鑑定する番組が流行るのは、何故でしょう。それは、物、人生、健康、それぞれの判断基準に飢えている人が多い所為かも知れません。その中の一人が思い当たるのですから、間違い無いことです。

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               冬空に 裸祭りの 西大寺
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by tabigarasu-iso | 2007-11-18 00:06 | 随筆 | Comments(0)

見える力

 同じ場面や情報を見ていても、判断基準を持たずに漠然と見ていれば、見えないものはいつまで経っても見えません。まずは関心を持って、自分なりの判断基準から疑問を持ち、それを解決する仮説を立てれば、ものは見えてくるようです。

 自分の仕事に関心が無ければ、何も見えませんから、改善など望めません。大いに関心はあっても、自分なりの判断基準を持たなければ、疑問も明確にならず、解決の仮説を立てることも、それを実行に移し検証することもできないことでしょう。

 地球温暖化の問題は、多くの人が関心を持ち、二酸化炭素の排出量を減らすビジネスや売り買いするビジネスが脚光を浴び、多くの企業が参入する市場になるでしょうが、それだけに競争も激しく、コアとなる技術や資金の無い企業にはビジネスとして成功するのは容易ではありません。

 見方を変えて、二酸化炭素を活用する技術に注目する手もあります。嫌われ者の二酸化炭素をエネルギー源にすることができれば、収支のバランスが取れ、温暖化問題も解決することになりましょう。そんな技術開発が可能なものか、関心を持てば課題も見えて、その解決方法も見える筈です。
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蒔いた種 刈り取る知恵を 誰に聞く
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by tabigarasu-iso | 2007-11-16 18:46 | 問題解決 | Comments(0)

視点により物語は変わる

 武田信玄を主人公にした風林火山では、上杉謙信と何度か戦う川中島の合戦には時間を割くが、今川義元と織田信長による桶狭間の合戦には、戦う前と後の場面を僅かに放映しただけであった。これが、織田信長を主人公にした時代劇になれば、桶狭間の戦に充分な放映時間を費やすことであろう。

 同じように、ISOマネジメントシステム導入の戦において、コンサル、審査員、受審者の何処に視点を置くかにより、戦の重点箇所も変化する。そこで、同じ戦の場面を想定し、それぞれの立場で視点がどのように異なってくるか、それぞれの物語を展開してみれば。

 その場面、環境ISOの難所である「著しい環境側面の決定」の戦場であった。
『紙、電気、ゴミの管理が徹底し、本業の課題を著しい環境側面として捉える考え方が生まれ始めている。理想を追って先を急ぐより、ここは無理をせずに、次年度の目標を策定する前段階で、現場の方の意見を吸い上げ、納得できるように時間を掛け、支援を進めよう』とコンサルは考えていた。

 けれども、一年に一度、それも書類を見ただけで、現場の事情を全く知らない審査員は、受審者の弱みに付け込み、根拠の無い私見を言い放つ。
「本業に関わる環境側面の抽出が不充分です。それも全部門に言えますから、本来であれば不適合ですが、改善項目にしておきますから、次回の審査までには対応を願いたい」

 不適合を口にされては、何が不充分なのか、根拠の無い指摘とは思いながらも、立会いのコンサルの顔を見ながら、受審者は首を縦に振るしかなかった。
『おいおい、コンサルの指導と話が違うじゃないか。良く理由は判らないが、不適合は困る。何しろ、著しい環境側面を全面的に見直すことになるから、対応に時間が掛かりそうだ。この場で了解しても、現場の協力が得られるだろうか?』

「いずれ対応が必要な指摘内容ですから、これを良い機会に改善しましょう。それにしても、納得が行かない場合には、何故そうなのか、勇気を持って質問できないといけませんが、それを指導できなかったこと、お詫び申し上げます」と、審査終了後にコンサルは、審査で疲労しきった受審者を前に詫びるのであった。

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言い訳を 良い訳にする 紅葉狩り
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by tabigarasu-iso | 2007-11-14 12:39 | コンサルサービス | Comments(0)

謀略

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとか申しますが、その憎い相手が良かれと進めた戦術を嫌ったのが原因で、今川が大軍勢で有利な戦を劣勢の織田の奇襲により桶狭間で敗れたのであれば、感情を捨てて戦術の内容で判断した方が良いことを、歴史は教えてくれます。

 相手の性格を承知の上で、嫌われている自分が戦術を進言すれば、別な行動を取る事を読み切ってのことであれば、戦国の将来の敵を潰す何とも知的な戦略でありましょう。これを利用された側からみれば謀略ですが、刀や鉄砲より情報が重要な武器になることを教えてくれます。

 その情報が氾濫する現代では、どの情報が信じるに足りるものなのか、選択しなくてはなりません。その基準は、戦国時代と変わらぬ人でありましょう。誰から提供された情報か、その人は信頼できるか、別な人はその人の情報をどうみるか、複数の情報を複数の人が評価する必要があります。

 相手の言うことを聞かず、自分の言葉ばかり相手に投げつける、独裁的な上司や審査員それにコンサルタントが居たとすれば、その方々は先の今川と同じく謀略に陥り易い状況に置かれていますから、大いに気を付けたいもの。そんなことを諭してくれるのが、時代劇を装うドラマの狙いではないでしょうか。

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                寝る犬は 草倒す癖 忘れない
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by tabigarasu-iso | 2007-11-12 12:26 | 随筆 | Comments(0)

浦安のソバ

 話題の駅前留学は、駅の傍を売り物に受講生を集めました。同じそばでも、東京は浦安駅近く、柔らかいソバ掻きでは舌鼓を打たせ、固いソバでは胃を唸らせるソバ屋があります。昨今、健康食が流行り、安い店から高級な店まで、ソバ屋のバブル期と言えますが、その中でも特筆に価する店でしょう。

 そもそも、ソバなるものは、米や麦の獲れない荒地で栽培されるもので、両者に比べ栄養価も低い所為か、決して旨い食糧ではありません。粗く挽かれて舌触りも悪く、ソバ掻きにしても、喉の通りは良くないものと記憶しておりましたが、意外なことに浦安のそれは香りも良く舌の上でとろけるようです。

 また、量も少なく、ツルツルと音を立て飲み込む、これがソバの食し方と承知しておりましたが、そこのソバの量は予想外のものであり、それに、何とも固くて飲み込む訳にも行きません。とうとう、三分の一を胃袋に入れたところで箸を置くしかなく、それが勿体無くて、残した分を袋に詰めて貰い、持ち帰りたかったのですが言い出せなくて。

 こうして、柔らかく固く姿を変えながら、質素な風味を教えてくれるソバを酒の肴に、貧しいながら愛を信じた『神田川』の歌に涙し、世の中を変えると信じた学生運動に共鳴した頃の想い出を、コンサルと同じ世代の依頼者は、柔らかく語ったのであります。その後で、支援を通じて確認した課題につき、固く語ることを忘れないコンサルでありました。


               たかが蕎麦 されど傍とは 有り難い
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by tabigarasu-iso | 2007-11-10 23:38 | 随筆 | Comments(0)