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白髪の旅ガラス

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ふつう

 毎年、夏から秋に掛けて、南の海で生まれた台風は、律儀にも日本列島に立ち寄り、大雨と強風を配下に引き連れ、それまで大人しく流れていた河川に反乱を起こさせ、人の手で植えた貧弱な樹木をなぎ倒し、傘など無用の代物としてから、折り目の入ったサラリーマンのズボンまで濡れ鼠にし、どこか折れ目か分からぬジーンズ仕様にしてしまう。

 それでも、翌日の早朝からコンサルを控えた旅ガラス、エアコンの効いた涼しい巣に引きこもり、暴君の通り過ぎるのを待ってはいられないから、新幹線が不通にならない内に、いつもより一時間ほど早く東京駅を発ち、米原へと向かった。静岡駅を過ぎたところで、仲間から携帯電話に電子メールが入り、東京は豪雨の最中、台風の中心は静岡に接近中と教えてくれる。そこで、車窓から空の様子を確かめれば、雨もなく穏やかな夕暮れに、お礼のメールを返した。
「貴重な情報、ありがとう。安心して旅ができます。それにしても、台風は何処に居るのやら。こちらは晴れですぞ」

 どうやら、暴れ者が東海地方に上陸する直前、東海道をひかりで通過したから、行き違いになったようだ。南彦根について電車から降りると、傘を手にした者は、濡れたズボンの先が乾いて丸くなった自分の他に、誰も居ない。連れの仲間と馴染みの居酒屋に寄り、夕飯を喰いながらテレビの解説者の話を聞けば、只今新幹線は上下線ともふつうだと言う。

 新幹線は特急列車だから普通列車である筈がない。してみれば、先のふつうは不通であろう。同じ読みでも、意味が逆なら、緊急事態に使う言葉としては、不適切ではなかろうか。普段と同じく「電車は今日も几帳面に走る」とか、異常時で「途方に暮れて雨宿り中」とか、誤解されない表現を、工夫して貰いたいものである。

蝉好きが ゴキブリ嫌う 鳴かぬ差に
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by tabigarasu-iso | 2005-08-28 16:34 | 随筆 | Comments(0)

ふるさと

 ミニ豚が、庭にできた小さな水たまりを、鼻で押し広げて身体を泥水に浸し、真っ黒になったところでブイと鳴き、牛舎の一角にある寝床に向かって、ブイブイ、ブイブイ、ブイブイと、勝利の雄叫びを上げて戻って行く。

 そこには、脱走に慣れた子牛が、親牛の心配する鳴き声を聞いて聞かぬ振り、他所の餌箱を漁り終え、新天地を目指し猫の後を追う。

 追われた猫は心得たもので、身軽に柿木へ登ってやりすごし、休止中の煙突に虫をくわえて出入りする、雀との距離を測る。

 それを空から見守っていたカラス、何やら猫に入れ知恵するため、近くの枝に舞い降りた。

 村を見渡す山の上に先祖の墓がある。その隅に一本植えてあった赤松の大木が消え、直ぐ下に舗装されたばかりの農道ができていた。

 その変化を、長い年、知らずに過ごした御無沙汰を先祖に詫びながら、米のダンゴを配る父に従い線香を配る。

 かなたには、浅間山が現役の活火山である証拠を見せていた。この山は、人がこの世に現れる前から変わらず白煙を上げ続け、時には大噴火を起こす。つい先日も己の存在を誇示したばかりである。

それに比べれば、わずか半世紀の間に、小学校の分校がなくなり、村中を流れる川は護岸工事で死に絶え、農家専業は数件に減り、桑畑も姿を消し、見知った顔も稀になる、人の世の変化は、実にめまぐるしい。

モロコシを 猫と分けあう 囲炉裏端
 
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by tabigarasu-iso | 2005-08-21 11:57 | 随筆 | Comments(0)

異文化交流

 静かに語らい、ゆっくりと飲み、たっぷりと味わう、そんな夕食をディナーとか言いますが、移動中に弁当を掻っ込むことが当り前のコンサル稼業には、縁のない機会と長い間思い込んでおりました。

 それを五年前、フランスはパリ、星が沢山あるレストランにおいて、正装したコンサル仲間とその家族十数名とで体験したのは、夕方の七時過ぎであったと思います。あらかじめ、日本語に訳されたメニューを見ながら、飛行機の中で注文する品を決めたのですが、どんな代物が登場するのか、文字から想像するには、その範囲を超えておりました。唯一の経験者を信じ、まずはワイングラスを傾け、本場のフランスパンを齧れば、腹が徐々に膨らむのは当然のこと。けれど、メインの皿が出るまで、胃袋に余裕を持たせていなくてはなりません。そこで、液体のワインをゆっくり流し込めば、和食を消化することを忘れた胃袋、ワインでふやけたパンの海となるのが判ります。

 九時を過ぎ、ようやくロウソクの明かりにメインの皿が艶やかに並び始めました。自分の皿には、日本で見慣れた海老の姿があります。けれども、隣の皿には、鳩の丸焼きが三匹、そのままの姿で並んでいました。日本では平和の象徴の鳥が、あの素敵な日本語訳のメニューとは推測できず、目の前の現実に失望を顔に表す仲間に対して同情しながらも、笑いを堪える方に神経を使ったのは、一人ではなかった筈です。

 戦後の食料難に育ったその方は、一匹でもてこずると思われた鳩の丸焼きを、押し黙ったまま、三匹とも平らげました。これは、楽しみを通り越した厳しい仕事ですから、自然と皆から歓声が上がります。そればかりか、その後に出てきた自己主張の強いデザートも残さず、小柄な日本人を代表し、胃袋の潜在能力を証明してくれました。

 こうして、コンサルタントの珍道中は続くのですが、続きは別の機会に譲ることにして、日本の空では単独で舞うコンサル仲間が、仕事を離れたフランスでは集団で舞い、夕食を楽しむ文化の違いを、胃袋で痛いほど知ったものです。

あちこちで 天に腹見せ あぶら蝉
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by tabigarasu-iso | 2005-08-17 22:55 | ニュース | Comments(0)

土砂降り

 鍋で茹でるジャガイモの気持が、肌で判る日の夕方ともなれば、俄かに空が暗くなり、気紛れに干した布団を片付ける間も無く、大粒の雨が落ちてくること間違いなし。慌てて帰る足下の、空き地の焼けた土の臭いが鼻を突く時、その日の暑さが鼻で判ると言うもの。

 こうした日でも、営業となれば、背広にネクタイは作法に近い。取り敢えず持参することにしているのだが、額から汗が流れ落ちて止まらず、ハンカチで拭くのも効果が無い時には、失礼させて頂くことにしている。

 「初めまして。本日は猛暑ですので、失礼ながら、背広とネクタイは、自宅に待機させて頂きました」
 こうは、初対面の人には切り出せないから、地球の温暖化問題を持ち出す。
 「失礼ながら、環境保全を支援する立場上、例の省エネルックとさせて頂きました」
 背広の上着を手にし、ノーネクタイで挨拶すれば、ニッコリ笑って応えてくれる。
 「いや、我々も先ほどまではノーネクタイでして。だから、着けろとは申しませんので」
 この一言で互いにうちとけ、商談は前向きに進む。

 一方で、仕事を開始する直前の打合せの席で、話の雲行きが俄かに怪しくなり、途中で雷が轟き、ついには土砂降りとなり、話が流れる営業もある。

 その時は熱くなり、相手の事情による夕立とは知らずに席を立ったが、途中で雨宿りをしていれば、激しい雨も底を突き、間も無く止んだに違いない。さよう、熱く活動する日の夕方は、激しい上昇気流が生じ、それが上空で冷やされ、空気中の水分が雨となって降下するのは当然のことである。

庭先の キュウリ盗られて 昼寝なり
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by tabigarasu-iso | 2005-08-13 18:17 | 問題解決 | Comments(0)

一期一会

 環境ISOの審査を依頼され、巡り歩いた全国各地。北は札幌から南は宮崎まで、長くても三日、大半が一日の真剣勝負。相手の素性を知る間も無く、さりとて的を射た質問を避けては失礼と心得て、初めて会う人ながら『さん』付けで名を呼び本意を探る。

「Nさん、前回審査で指摘された二番目の件、どう対応されましたか」
「この通りです」
「Nさん、これは応急の処置ですね。問題を起こした原因を探り、抜本的な対応を期待したのですが」
「この処置で良いと思いましたが」
「そのようですね。Nさん、審査員は、組織の経営レベルまで口を挟めないのです。表面的な応急処置で済む場合と、仕組みの根本にまで根が張り、その根を断ち切らないと仕組みが改善できない場合がありますが、どのレベルまで掘り起こす処置をするか、それは組織の経営判断ですから」
「そうですね。こうした説明があれば、対応方法も変えていたでしょうが」
「Nさん、確かに審査員の説明不足もありますね。それと、審査を受ける側の勘違いもあります」
「・・・・・」
「Nさん、環境ISOの審査は、組織の経営改善に関し、環境の視点から、その課題を発見し提案するものです。審査を利用する考えがなければ、審査を有効に活用することはできません」
「なるほど。それでも、やはり審査を受ける側としては、言いたいことを言えませんよね」
「Nさん、その調子です。現に、今は審査の最中ですから」

 こうして、現場での審査を終え、経営者との面談となった。
「ところで、A社長、現場の若い方、元気があって良いですね。それに、はっきりと物を言ってくれるのが更に良い」

 どんな話が出たのか知りたそうなA社長に、若い社員の言葉を要約して伝える。つまり、仕事は増やしたくはないけれど、今の目標は焦点がずれている。やりがいがある目標にして貰いたいと。
「なるほど、審査とはこういうものですか。失礼ながら、道具として使えそうですな」

 審査員とは、一期一会の渡り鳥。次に又、お目に掛るはいつ日か。さりとても、手は抜かない真剣勝負。その評価は知らないが、もう一度会えたら有り難い。
 
音は外 姿テレビの 花火かな
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by tabigarasu-iso | 2005-08-11 16:33 | ISOマネジメント | Comments(0)

もったいねえ

 難しい言葉より、説得力のある親しい言葉がある。その一つに『もったいない』があるが、これだと親しみを感じないから、『もったいねえ』と言うことにする。

 ところで、何が『もったいねえ』のか。まずは、未だ着ることができるのに、デザインが古いだけで捨てる背広。もっとも、二十年も着れば色も褪せて擦り切れる箇所もあり仕方がないか。また、胴回りが太くなり、着られなくなって捨てるズボン。既に何回も拡張を重ねて修繕が無理だから、腹の脂肪を削減する努力はするが、それまで意図的に腹を引っ込めるには、腹筋の使い方に無理がある。次いで、片方が行方不明になり、まだ穿ける片方を捨てる靴下。捨てた翌日、洗濯物の山からもう片方が現れ、ゴミ袋に投入したことを大いに悔やむ。更には、未だ映るのに、未だ洗濯できるのに、未だ履けるのに、買い換える新商品。機能が追加されるのは魅力だけれど、果たしてどれだけ必要で、どれだけ使いこなしているのやら。

 その昔、今ほど自由に物が手に入らず、着物や靴下それに履物、何人もの兄弟が使い回し、新品など滅多に身に付けたことがない家が大半であった。テレビなど捨てようにもはなから置いてなく、他所の家に頭を下げて見せて貰う有様。買う食料は、地元で手に入らない海の幸くらいで、あとは自給自足。家の外に捨てるゴミなど、鉄屑くらいであった。それも忘れた頃になると見慣れないおじさんが回収にくるから、廃棄物が出ない生活をしていたことなる。

 必要な衣類だけを買い、何回も嫌になるほど使い回し、使えなくなったら、野良着や雑巾に形を変える、今流行の再利用、再生利用など、当たり前の時代があったことを想い出して貰いたい。そうすれば、これから物を買う時や捨てる時、『もったいねえかな』と心で唱え、先祖や子孫からの声に耳を貸す習慣が生まれるであろう。

蜩に 梅雨の仕舞いを 知らされて
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by tabigarasu-iso | 2005-08-04 19:13 | 随筆 | Comments(0)