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白髪の旅ガラス

人の命は永遠か

 渋川市の天台宗真龍寺だより平成30年正月号には、「人の命は線か丸か」と題した記事がありました。仏教の考えでは、霊や命は人の体を仮の宿にしていますが、肉体とは関係なく無限に生まれ変わり、別の姿となりこの世に現れまた去っていき、また現れると言うのです。


 人の命は丸であると仏は教えていますから、人の身の上は様々に変わりますが命は消えてなくなることはありません。これを信じるか否か、それも人の心のあり方により変わるようです。


命を水に喩えるなら、川の水が海に流れ、海から水蒸気なり空へ上り、再び雨になって降るように、命も不変の存在になりますが、水は命を繋ぐ手段であって、命そのものではありません。


それでも、命は水のように無限に生まれ変わるものとするなら、別の姿に生まれ変わった際に、元の自分を少しでも想い出すことが出来ないものでしょうか。


この身体 先祖の細胞 引き継いで



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# by tabigarasu-iso | 2018-01-16 12:39 | 随筆 | Comments(0)

猫は炬燵板の上で伸びる

 我が家の猫は、食餌の心配もなく、排泄の場所も確保されている所為でしょうか、一日の大半を眠り猫で過ごします。


眠る場所は、自分のねぐらが一番長く、出窓は昼間に限り、炬燵は布団の端に頭を埋めて愛らしいこと、この上ありません。


変わった寝顔は、人が書き物をしている炬燵板の上に寝そべり、邪魔するように見詰めながら、いつしか下から伝わる熱で夢の中に居る時でしょう。


布団の上とは異なり、温かいとは言え硬い板の上ですから、熟睡出来ないかと思えばそうでもなく、その硬さが安心感を与えて伸びているようです。


どんど焼き 団子かざして 食べたっけ

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# by tabigarasu-iso | 2018-01-15 09:00 | 随筆 | Comments(0)

寒い中の散歩は

健康志向からでしょうか、それとも身体を動かす仕事のない所為でしょうか、早朝から夕方まで散歩する人の姿を見掛けないことは一日たりともありません。


雨の日でも傘で何物かに追突するリスクを無視して、猛暑の日でも脱水症で倒れるリスクを犯し、吐く息の白くなる寒い日でも脳溢血のリスクなど想像もしないで、街中を散歩する人の数は増えるばかりです。


ある人は目的もなく散歩する人の気持が分からないと言い、別な人は寒い中を歩くなど自殺行為に近い愚だと言い、どちらもその通りだと賛同する人も大勢いることでしょう。


健康維持が目的の散歩なら、猛暑や寒い中の散歩は避けた方が目的に叶うと思います。また、何も目的を持たない空の散歩は、座禅散歩になるのかも知れません。稀には、徘徊散歩に変化するかも知れませんから注意が必要です。


北風に 腕振る散歩 帽子付け


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# by tabigarasu-iso | 2018-01-14 13:30 | 随筆 | Comments(0)

真昼のファミレス

 その昔、レストランに入る人の顔が輝いて見えたものです。その前を通り過ぎる度、いつか家族で立ち寄りたいと思わないことは一度もありませんでした。


 一次産業から三次産業に仕事を変えてから、休日には家族で利用することも可能になりましたが、平日にレストランを利用した記憶はありません。


先日のこと、正月の食事作りに疲れた人の救済に、平日のレストランに立ち寄る機会がありました。中に入ると高齢の方ばかりでしたが、たまには自宅を離れ、親しい仲間とお喋りしながら食事することは良いものです。


それには、メニューの安さは欠かせません。水やお茶はセルフサービスながら飲み放題、ランチはワンコインに近い値段ですから、これを利用しない手はないようです。


餅に飽き 盛ソバ頼む 元青年


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# by tabigarasu-iso | 2018-01-13 17:00 | 随筆 | Comments(0)

誰が生徒か先生か

 メダカの学校では、誰が生徒か先生かと唄う箇所がある。中学時代の吹奏楽部の先生と生徒が五十年後に開催した同窓会の写真を頂いたが、誰が生徒で先生か分からない。


先生と思える方は、胸に名札が付いていない方であろう。学生服の姿しか見たことのなかった生徒仲間、今では立派な爺様や婆様となっている。白髪や皺の中に、当時の面影を探して名札の名前と一致した方は少数であった。


 その同窓会には、機会があれば参加してみたいが、長くても三年間の話題に触れることは懐かしいものの、その後の物語の方が遥かに長く、触れたい物語、触れたくない物語、興味のない物語と様々であり、同窓会の内容としては相応しくなかろう。


 同窓会や同級会は、継続的に参加している人には近況を確認する楽しみの行事であろうが、半世紀を経て参加するような人の場合、老人から夢多い少年に舞い戻るつもりが、そうでない現実に直面する勇気が要るようだ。


生徒より 若い先生 秘訣聞く


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# by tabigarasu-iso | 2018-01-12 17:00 | 随筆 | Comments(0)

 他所様の庭に咲いたロウバイを楽しみに暮らすこと数年が経ち、機会があれば苗を手に入れて自宅で楽しみたいと思っていた願いが強過ぎた所為か、鉢植のオウバイ表示を見付けて直に購入した。


 暇に任せて水を霧吹きで掛けてやれば、間もなく愛らしい黄色の花が小さな枝に咲き始め、散ったかと思えば新たな芽が花を開き、寒風の吹く外とは別の世界を見せてくれる。


 いずれ花は蝋(ロウ)に似て来るであろうと密かに期待していたが、出窓に置いた鉢のロウバイは花を咲かせて散るばかりでロウにはならない。もしかしたら、オウバイはロウバイの一字違いなどではなく、全くの別物かも知れないと疑って調べた。


 かように、粗忽者とはオウバイをロウバイと勘違いして購入する者のことである。これが作り話なら、オジサン駄洒落の末席にもならないが、本気で勘違いして購入し、真剣にロウバイになるのを待って水をくれていたのだから、笑えない話だ。


青空に ロウバイの花 浮かせ観る

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# by tabigarasu-iso | 2018-01-11 21:30 | 随筆 | Comments(0)

鹿児島弁

 言葉が通じなければ、仲良くしようと手を差し伸べても、攻撃と勘違いされて争いが起きる場合もある。そんな時には標準語が役に立つ。狭い日本でも、標準語に翻訳しなければ、意味の分からない言葉が沢山ある。


「ヤッセンボ」

 鹿児島出身者が標準語にはない問題を出してくれたが、皆目見当がつかない。

「弱虫のこと」

 どうして弱虫がヤッセンボと言うのか訊けば良かった。


「チェスト」

 これは聞いたことがあるが、意味が分からない。

「強い人のこと」

 なるほど、それらしい響きがあるので理解出来た。


他にも色々な言葉を教えて貰ったが、自分で書いた文字が乱れ過ぎて解読出来ない。次の機会が予定されている鹿児島弁講座では、音声も録音して学ぶとしよう。


方言の 中に文化は 顔見せて

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# by tabigarasu-iso | 2018-01-10 12:12 | 随筆 | Comments(0)

アパート仲間の会

 風呂はなく、トイレは共同のアパートで数年暮らした仲間と催す同宿会は、既に四十年もの期間に亘る。長髪を掻き上げていた彼の頭は輝き、ニキビを気にしていた彼の顔は月面に変わり果てていた。


 かく言う自分も額が頭頂近くまで広がり、細いジーパンに肩まで伸ばした長髪の姿があったことなど、証明するのは当時の写真だけである。それを孫に見せれば、祖父を父親だと言い、隣の祖母を叔母だと言って疑わない。


 四十年の歴史は、懸命に生きて来た自分達には瞬間であり、同宿会の話題の大半は当時の出来事に集中していたが、このところ人生の到達点が見えてきた所為か、近未来の話も登場するようになった。


 いずれ田舎に帰るとか、帰ったところで田舎を一度捨てた人間に安らぎはないとか、自分のことは棚に上げて言いたい放題である。それより、夢は持とう、夢の実現に向けて行動しよう、夢を持たない老いなんて勿体ないと鼻息が荒くなった。


新年の 挨拶交わす 元青年

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# by tabigarasu-iso | 2018-01-09 09:30 | 随筆 | Comments(0)

微力と無力

「私たちは微力ですが、無力ではありません」

 かように、何でも分かり易く説明してくれる池上彰さんは、核兵器廃絶に向けて言った被爆者の言葉を紹介してくれました。


 もしも、核兵器発射のボタンが押されたなら、何の罪もない人の命が瞬時に消える。これを阻止するには、核兵器廃絶しかありません。だが、阻止する力は微力であり、核兵器を発射する側には痛くも痒くもないかも知れない。


それでも、核兵器廃絶の希望を捨て、何もしない無力の集団に成り下がる訳には行きません。一つ一つの微力を集め、大きな仕事を成し遂げる例は、蟻の世界ばかりで終わらせてはいけないのです。


たとえ微力であっても、無力ではない証拠として政治に目を向け、耳を傾け、インターネットで意見を述べ、賛同する仲間と手を組み、国政を動かし、核兵器廃絶のリーダーシップを取ろうではありませんか。


振袖の 姿ホームに 静々と

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# by tabigarasu-iso | 2018-01-08 21:30 | 随筆 | Comments(0)

差出人不明

「年賀状は生きている証だな」

 届いた賀状の返信を書きながら、父が言ったことを想い出します。組織に属している間は呆れるほど届いた賀状も、組織を離れて暫くすれば消えるようになくなりますから、組織の人としては生きていないことになるのでしょう。


 ある方は、賀状の時期を待たず、儀礼だけの葉書を廃止する旨、わざわざ葉書で送ってくださいました。何とも義理堅いことだと感心しましたが、貰った葉書に返信もしない不義理を避けたかったのでしょう。


 定型文の印刷されたコメントの無い賀状を頂くにあたり、あの方の葉書の文面が蘇ります。寄る年波には勝てず、失礼する前に失礼しますとは、あの方らしく、いつまでも頭から離れません。


 心の籠らない賀状など止めにすれば良いと思います。生きている証でも、相手を想う手書きのコメントが必須ではないでしょうか。まして、差出人のない賀状など、呆れる相手も分からない。さような不心得者には、電子メールでの賀状を薦めます。


 差出人 不明の賀状 さようなら


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# by tabigarasu-iso | 2018-01-06 15:00 | 随筆 | Comments(0)