2005年 05月 23日
脱線
ISOで定めた管理モデル、どこの国の誰にでも使えるように、英語で書かれている。それを日本語に訳す際、意訳せず直訳するから、多くの日本人が訳の判らない日本文に頭を悩ます。難解な日本語に生まれ変わったそれを、講演会で説くとなれば、時に講師、苦を乗り超える脱線が必要になる。
「・・・計画された若しくは新規の開発、又は新規の若しくは変更された活動、製品及びサービスも・・・とは、要は、過去、現在、未来の変化に対し、管理対象を最新なものにすることを忘れないように定めていること。それだけのことを、これほど判らなくする輩の脳味噌を見てみたい」
そう言い切った後で、手にしたマイクを思い切り床に投げつけ、受講生に向かって勝利のポーズをとる。そんなシナリオを口にしてみると、テレビ好きな受講生は声を出して笑い、そうでない方は、何となく笑みを浮かべるだけ。笑いには、共通な文化が必要なことを、その場で認識したりする。
ところで、かような話の脱線は人畜無害で宜しいが、電車のそれはいけない。思いがけずに人生の幕を閉じた尼崎の脱線事故で亡くなられた百七名の方々の冥福を祈る。
命とは 改訂できる 文あらず