2007年 06月 18日
濡れ葉
ところで、子供の頃の梅雨は嫌いであった。生糸の値が高い時代であったから、お蚕様と呼び、春先から秋口まで、桑の葉が成長する間は、多くの農家で蚕を育てて繭を売る。蚕は、雨に濡れた桑の葉を食わないから、それを家中に掛けて干す。それが顔や手に触れ、蚕に家を占拠された気分になったものだ。
考えてみれば、桑の葉を餌に蚕を育て、その繭から生糸を作り、着物をこしらえるのだから、よくよく環境を配慮した仕事であった。それが、石油で造られる糸に取って替わられたから、お蚕様も死後になり、濡れた桑の葉が顔に触れることなど、今では遠い昔の話である。
最近になり、我が国の首相は、2050年までに、二酸化炭素の排出量を半減すると宣言した。その姿勢は評価できるが、具体的な方策の準備、その計画性が見えないから、当てにはならない。かつて、石油に頼らない糸を供給していた養蚕農家のあったことや、今でも再開できる環境はあるが経済が許さないことを、進言できる参謀の存在が必須であろう。
梅雨入りし 安堵して泣く 予報士も